lemonの掃き溜め

日々の生活や考え事、妄想などをただ綴ってるだけ。

終わらない不登校、変われない自分

中学三年生のときに学校でパニック発作を起こして倒れ、以来ずっと学校に行けていない。それは大学生になった今も変わらず、入学から5ヶ月近く経っているにも関わらず一度も登校出来ていないザマだ。

中三の夏休み明けに倒れ、フリースクール通いになった。そこではまあまあ順調で、無事卒業。行きたかった全日制の高校は、見学に行ったときにワイワイ楽しそうにしている生徒を見て発作が止まらず、その瞬間"ああもう本当に普通の人間ではなくなってしまったんだ"と悟った。中二のときにADHDと診断されて、以来ずっと自分の中の普通とは何かという疑念に囚われていたが、自分の異常性を改めて認識した瞬間だった。発作を起こして倒れたあの日から、わたしの中の何かが変わってしまった。

その後は通信制の高校に進学するも、昼から夕方にかけて週二の自由登校という緩さにも関わらず、たった数時間でさえも学校に通うことすらままならず、無事に登校出来たと思えば発作が止まらずろくにレポートも進まないため、教師と相談し、特別対応として在宅のみとなった。

自分の精神がどんどん悪化していくのが分かった。でもどうすることも出来なかった。出来ないのか、やらないのか。定かではないけれど。

どうにかこうにか、高校を卒業した。そのときわたしにはやりたいことがあったし、将来性を考えても大学進学はマストだと思い、通信制の大学へ入学。そんな矢先のコロナ騒動。バイトも無くなって、外に出ることもなく、ただただ毎日を惰性でやり過ごした。死にたくて死にたくて、入学式も無いし、通信制ということもあって分厚い説明書のようなものを読んで各自ネット上で履修登録やら教科書の注文やらをするようだったが、何ひとつやる気になれず、とうとう8月も終わりを迎えようとしている。

先述した"やりたいこと"というのは文筆業であるが、パッと思い描ける具体性も無ければ何を伝えたいのかも分からず、自分の書くものに対してつまらなさしか感じない上に、数年前までは確かにあった"書くことの楽しさ"がいつの間にか自分の中から失われていることに気付いてから、より一層何もする気になれなくなってしまった。

多少なりとも目標があったから大学もそれに合わせて専攻などを決めたし、それなのに、その道標さえ見失って、もう自分がどうしたいのか分からない。

何もしたくないし、自分には何も出来ないと感じていて、それは事実でもあり、精神科をあちこちするのも億劫だ。毎日毎日死にたくて死にたくて、どうにかしなきゃという焦燥感と一切を放棄し逃れたいという無気力感の板挟みで、そんな怠けた気持ちを希死念慮に変換しているような日々を送っている。

どうしたら、どうすれば、どうしよう。そんなことばかり考えて、行動に移す気力は無くて、苦しくなって首を絞めて、後悔と失望に揺られている。

死にたい、死にたいなあ。

続・努力が出来ないのは甘えか

以前、『努力が出来ないのは甘えか』という記事を書いたことがある。タイトルのわりに要は単なる怠け者の嘆きなわけだが、時を経てなんとなくこの答えが分かるようになった気がするので、今回は過去の自分と答え合わせといこう。

 

ひとまず結論から言うと、やはり努力が出来ないのは甘えだと思う。ただこれはよく分からん暑苦しい体育会系の精神論など根拠不明の主張ではなく、もちろん必ずしも批判されるべきものではないといった側面も持ち合わせている。

 

まず、そこに行き着いたきっかけから述べよう。

 

わたしは最近よくTikTokなどで耳にする機会が多かった、とある地下アイドルグループの曲を興味本位できちんとAppleMusicで聴いてみた。するとまあ、聴いているこっちがいたたまれなくなるくらい歌が下手だった。TikTokで聴いていたときはメインはもちろんその動画に映るユーザーであるし、何より倍速再生されていたのでさほど気にならなかったものが、きちんと音楽という形で聴いた途端に粗という粗が、それはそれはもう目立ちに目立ちまくっていた。

試しに過去の楽曲もチラッと聴いてみたが、どれもこれも正直聴くに耐えないクオリティだ。生歌なんてとても耐えられると思えないし、正直これにお金を払おうとは思えない。もちろんアイドルなので顔は可愛いが、それだけが全てじゃないだろう。

だからと言って地下アイドル全般を否定するわけではなく、中にはわたしが知らないだけで歌も踊りも上手いアイドルだって居るかもしれない。それはプロだって同じで、テレビに出るような有名アイドルだの俳優だのも正直「そんなに持て囃すほどのものか?」というレベルだってゴロゴロ居る。

 

これは持論だが、プロアマ問わず求められる技術に粗が目立ったり、はたまた現状は大したことなくてもそこからさらに上達しようとする気概を感じられない者に対して多くの人は惹かれないだろう。アイドル然り俳優然り、偶像崇拝というのは平たく言えば努力に対する対価を支払うことだ。これはスーパーで食品を買ったり、ショップで服を買うのと同義である。わざわざ不味いものやダサい服に金を出す物好きなどそう居ない。これを上手く誤魔化し、本当は大したことない中身でもどうにか買ってもらう為に重要なのが一見美味しそうに見える外見であったり、低価格であったりするというわけだ。

 

所謂オタクというのはその対象となる人物の日々の過ごし方などをSNSや雑誌の取材などで知ることが出来るし、そうしていくうちにその人物の過程を見ることになる。過程を知ると情が湧くもので、それこそが応援したくなる気持ちに繋がるのだろう。

 

だがしかし、外野は結果が全てであり、結果が無いとオタクになるきっかけも生まれない。ここで言う結果とは新曲であったり、ライブであったり、要するに商品のことだ。

そういう意味ではたとえどんなにボイトレだのを頑張っていて、それをオタクが知っていたとしても、完成した商品がそこそこのものでしかないのならそれは外野から努力不足に捉えられるのも無理はないと感じる。

 

そこでわたしはふと思った。これは一般社会でも同じことだな、と。

 

結果の出ない努力は努力ではない、などといった言葉を耳にすることが稀にあるが、これを言われた当事者とその身内の大多数は反発するだろう。そんなことない、こんなに頑張っている、今は駄目でもいつかは、等々。しかしそれは内輪同士の希望的観測に過ぎない。

 

結局のところ、他人は結果しか見ていない。億と居る人間から何かしらに抜擢するにあたって、いちいち全員分の過程などコスパが悪過ぎて見ていられないからだ。

だからこそ就職では履歴書で学歴や職歴を見るし、合コンでは立派な肩書きを持つ者に惹かれる場合が多い。消費者のニーズに応えられない企業は潰れていくのと同じことなのだ。

内輪同士の自己満足だけではビジネスにならない。そこに気が付けないうちは一生ぬるま湯に浸かって成長しないままだろう。

 

だからと言って、何も内輪同士のぬるま湯をわたしは悪いことだとは思わない。全ての人に好かれる人間や商品など存在しないからだ。それが生産者の心の支えになり、次へ発展させる糧になることも多いだろう。

もちろんビジネスにおいては好かれれば好かれるほど所謂成功となる場合が多いし、だからこそ商品を提供する側は消費者の求めるものを再現する。それが企業努力と呼ばれるのだろう。

 

しかしこれが親子間など一般的な生産者対消費者といった関係ではない場合、どうだろう?

 

偏差値の高い大学への進学だとか、有名企業に就職だとか、それらはもちろん実現出来たのなら褒められるべきことだろう。かと言ってそれが出来なかったとき、『お前は出来損ないだ』『いつもいつも怠けてばかりで努力が足りない』などと過剰に批判するのは、果たして正しいと言えるだろうか。

評価と批判と激励は別物である。そのことに気付かないで居るのはとても危険なことだとわたしは思う。

 

親にとって子供とは、有名大学や大企業に入れないと用無しの消耗品でしかないのだろうか?

 

わたしはそれは違うと思いたい。わたしは未成年であり、子を持ったことは無いが、だからこそ子供側に立つ者としては親には無条件に肯定して愛してほしいものだ。もちろんこれにだって限度はあると思うし、もしわたしが史上最悪の殺人事件なんかを起こしたとしたら親に軽蔑されるのも無理は無いと思う。たとえそこまでのことを起こさなかったとしても、とうに成人を過ぎて病気などの理由も無く親の脛を齧って堕落して生きていたとしたら、それは批判されるべきことなのかもしれない。

だけど殺人や強盗と違って、進学や就職、もしくはそんな大きなものでなくともテストの点数や習い事の成績があまり良くない結果だとして、それらはそんなに、今までの過程を、人格を、人生を全否定するほど批判されるものなのだろうか?

 

親や教師、配偶者、はたまた恋人や友人というのは所謂身内であり、先に述べたぬるま湯の内輪に入る部類であろう。

そういった内輪の人間にさえも批判され、知っているはずの過程を全て無視してでも厳しい対応をするのは、なかなか辛いものがある。それじゃあどこにも心の拠り所がないし、あんまりじゃないか。

何事も飴と鞭が大事であると思うし、鞭ばかり与えては弱って意欲を失い、次第に絶望してしまうのも容易に想像出来る。これが所謂虐待ハラスメントと呼ばれるものだ。

かと言って飴ばかり与えては実力の伴わない過剰な自信が生まれ驕ったりする。何事もバランスが大切である。

それは親だけの責任でなく、子も同様に正当な評価を受け入れず現実逃避ばかりしては何も成長することなく、いくつになっても精神年齢が幼児レベルのままだ。正しい批判を不当だと捻じ曲げて憤慨するのは小学生までにするべきである。しかし、それを子が自発的に行うのは難しいものがあるし、それらを上手いこと幼少のうちに伝えるのが親や教師など教育者の役目であり、責任だとわたしは思う。

 

こういった考えから、努力が出来ないのは甘えであるものの、必ずしも批判されるべきものではないといった結論に至った。

 

 

過去の記事でも、わたしは母親からの日常的な否定に苦しんでいることは記してきた。確かにわたしは誰かに誇れるような実績など持っていないし、自分がアスリート並の努力をしているとは思わない。かと言って別に学校にも行かず、働くこともせず、他人に迷惑ばかり掛けているわけではないし、自分で言うのもなんだがわりと普通の子供だと思う。

 

母親がわたしに優秀な成績や肩書きを求めているわけでもないのに、やたらと怠け者だ努力不足だ出来損ないだと批判し、時には暴力を振るうことにわたしは長らく苦しんできた。だからわたしは自分がどうしようもない出来損ないで、なんの価値も無い人間だと思っていたが、ある程度の年齢になって教師やバイト先の先輩にとても良くして頂いたり、真面目で仕事もきちんとこなすといった評価を頂いたときにはとても驚いたし、同時にその評価が信じられなかった。子供にとっていちばん身近な母親に長年否定され続けてきた為、すっかり洗脳されていたからだ。

公私共にお世話になっているバイト先の先輩や、事情を知る友人たちにも『あなたは自己否定が過ぎる』『そんなに卑屈にならなくてもいい』と言われることが多々あり、それらの言葉も申し訳ないが当時のわたしには全く響かなかった。なんなら今でも少し信じられていない節がある。

それほど親が子に与える影響は大きいのだ。それは親に限らず、赤の他人でもトラウマを与えられるようなことがあれば同じであろう。

 

先程も述べたように、親や、ましてや赤の他人に無条件の愛情を求めるのは些か難がある。だけども人はそうやってぬるま湯を求めるものだし、互いがそうして支え合って社会は成立していくものだ。

だからどうか、せめて、唯一の支えであるぬるま湯を取り上げないであげてほしい。頑張ったら結果が出なくとも褒めて、慰めてあげてほしい。

 

それが人の温もりなんじゃないかと、わたしは思う。

くずかご

わたしたちは一体これまでいくつの言葉を棄ててきたのだろう

書いては消してはたまたくしゃくしゃに丸められて捨てられて

もう開かれることのないノートにどれだけの言葉が眠っているのだろう

そうして思いを馳せられるだけマシなのだろう

あといくつ、思い返されることさえ出来ない、されない言葉があるのだろう

あといくつ、触れることさえない言葉が存在するのだろう

あといくつ、本来なら産声を上げるはずだったのに飲み込まれる言葉があるのだろう

産まれたことさえ否定される言葉は、あといくつあるのだろう

あなたに届かない言葉 突き返される言葉

あと、どれだけの。

ひとを救うということ

わたしは幼少期から、人を救うことに並々ならぬ憧れというか、使命感のようなものを持っていた。身体的にも精神的にも、自分が誰かの助けになることに執拗にこだわった。

たとえば母親と出掛けたりなんかして、エスカレーターに乗ると決まって母親を自分より上に立たせてスカートなどが下の人間に見えないよう仁王立ちしていたし、エレベーターだって絶対に開閉ボタンの前から動かず自分が最後に降りた。

物心ついたときから母親はわたしに自分の辛い過去を話したりして、その頃から無意識に"お母さんは可哀想なんだ"と思っていた。殴られたり怒鳴られたりするのは日常茶飯事だったし、それを完璧に許せるかと言われるとまた別だが、それでもわたしが母親のことを憎悪のみで固めることが出来ないのはわたしにとって母親は可哀想だからだ、という同情の念が根底にあるからだ。我ながら随分とお人好しなのかもしれない。

自信が無い母親に、子供ながらにたくさんの褒め言葉を送った。ままは若くてきれい!ままの料理がいちばん美味しい!ままは優しくてきれいで完璧なお母さん!ままはいつでも正しい、そうやって何かある度に母親に対して自信をつけるような言葉を贈った。不幸話をたくさん聞いてきたから、どれだけ出来損ないだと努力不足の怠け者だと言われようと、少しでも、少しでも、と。これは自分が気に入られたいとか、顔色を伺って出た言葉ではない。わたしはとにかく母親に元気で生きてほしかった。聞かされてきた今までの人生が"あんまり"だと思ったからだ。心からの同情だった。たくさん殴られたし時にはテーブルが飛んできたり包丁を突きつけられることもあった、それでも自分のことなどどうでもよかった。

 

小学生の頃、ショッピングモールに入っている本屋さんで本の立ち読みをしていた。隣のコーナーを眺めていたおばさんが、突然蚊の鳴くような細い声を上げたと思ったら、縋るようにわたしの肩に手を置き、そのまま力無く床に倒れていった。

5分か10分か、それ以上か。幼いわたしには何が起きたかも分からず、どうすることも出来ず、ただ呆然とその光景を見ていた。心臓がドクンドクンと脈打ち、火照るように熱かった。わたしとは対照的に、青白い顔をしたおばさん。何故床に倒れているのか、ぐるぐる、ぐるぐると思考が渦巻くなかで、救急隊が到着しテキパキと処置を施しているのを、虚ろに見ていた。その後おばさんがどうなったのか、知る術も無い。

 

わたしは警察官になりたかった。そのために空手だって習ったし、実は初段の一歩手前までいったのである。警察になったところで、救われるべき存在は取捨選択しなければならない現実を知り、諦めたが。

 

中学生になった。地元の大きな公立学校だったので、生徒の数は莫大だった。集団生活をする上で人間の数が多いと避けられないものは虐めである。顔が不細工だから、言動がキモイから、好きな人が被ったから。そんな到底下らない理由で虐めは蔓延っていた。のちに自分も虐められる側になるのだが、まだ傍観者であった中学一年生。わたしは顔がキモイとかそんな理由で虐められていた男の子を庇った。特筆する理由もない、ただ理不尽だと思ったからだ。

まあ、その後どうなったかはお察しである。

 

あるとき、アマチュアで文筆業に携わる機会があった。思いのほかたくさんの方に読んで頂けて、拡散されたり、話題になったり、感想を頂いたり、時にはリクエストや悩み相談も受けた。わたしの言葉に救われたと言ってくれる方が何人も居た。だけど、読者も同業者も、みな、みな、居なくなってしまった。広いネットの海でふと訃報を聞くこともあったし、遠い噂で亡くなったと聞いたが直接訃報を聞くことさえ叶わなかった人も居る。わたしはずっと、その人たちのことを時折思い出しては後悔に苛まれていた。わたしなんかが大それたことを言うのも烏滸がましいが、それでも、やっぱりわたしには救えなかったんだと、自罰的な思考に支配された。

 

死を強要するのは間違いだが、同時に生を強要するのもいけない。生きていてほしいと願うのは生存者のエゴだ。死にたいと思うひとを、止める資格などわたしに無い。無責任に生を押し付けたところでわたしにその人の人生の責任は取れないからだ。

だから、せめて、せめて、少しでも自発的にまだ生きていたいと思える手伝いがしたかった。

人を救いたくて、誰かの希望になりたくて、明日に目が眩まないよう、また道を見据えて歩き出せるように。どうか、どうか。わたしのエゴを叶えさせてほしい、卑劣で愚かなわたしの夢です。

同情するなら金をくれ

わたしの好きな漫画で、とても共感する台詞があったので紹介したい。

 

「 見ないでよ!!嫌なのその目…!!

私が私のことを可哀想と思っていなくても…!その視線が私を哀れにさせるの!! 」

明日、私は誰かのカノジョ(をの ひなお)

 

母親からの虐待で顔に火傷のような痣を負った女の子の台詞なのだが、似たような経験をした者としてはとても身に覚えがありすごく印象的だった。

中学生の頃、上手くクラスに馴染めずわたしは浮いていた。それはそのまま虐めへと発展するのだが、常に孤立しているわたしを見かねた担任教師が休み時間の度にわたしに話しかけてくるのだ。それは本当に単なる善意なのか、教師としての義務感なのか。真意は定かでないが、わたしにはそれが堪らなく惨めだった。

元々わたしはひとりが好きだし、孤独を苦だと思っていない。友達を作らないのだって強がりでなく本当に興味が無いからで、気の合う人間が居なかったから作らなかった。ただそれだけのことだったのだ。

教師や周りの人間から向けられるわたしへの視線は明らかなる好奇と同情だった。

ひとりで居ることの何が悪いのか分からないし、最低限のことはしているのだから誰にも迷惑は掛けていないだろう。それなのに、群れることこそが正解のように、自分たちが正義だと信じて疑わないその悪意ある善意が酷く不快だった。そのくせ別に話しかけてくるわけでもなく、遠巻きに眺め仲間内で嘲笑い、休み時間教室にわたしが居ると自然と皆教室を出ていく。わたしと学校の人間というのはそういった関係だった。

孤立するのは一向に構わないしわたしもそれを望んでいるが、だからと言って暴言を吐いたり物を投げたり捨てたり壊したり突然すれ違いざまに追いかけられて殴られるのは違うだろう。一応わたしも人間なのでそれなりに不愉快だし苦痛だ。

相互的に関わり合いを望まないならお互い干渉しなければそれで平和なのに、何故わざわざ攻撃を仕掛けてくるのか理解出来ない。わたしもお前らが嫌いだし、お前らもわたしが嫌いならそれで済む話だろう。中学生にもなって精神があまりに幼稚過ぎる。

同情なんていうのは、可哀想な人を可哀想がれる自分が可愛いだけのエゴでしかないんだよ。何も救えないくせに人を憐れむな、自分ひとりじゃ何も出来ないくせに一丁前に人を嗤うな。口を開けて餌を待つだけの雛鳥のくせに、誰かに、何かに逆らう勇気も無い腑抜け共がわたしを可哀想だと思うんじゃないよ。お前らが善意でやってる同情は単なる自己陶酔でしかなくて、その善意がどれだけ相手を苦しめているかなんてこれっぽっちも考えないんだろうな。そんな想像力の欠片も無い人間が気持ち悪い、心底軽蔑する。あのとき何もしなかったくせして、今になって表面上の心配や謝罪を述べて友達ヅラしてくる人間は出来る限りの苦痛を味わってほしいし、そうじゃなくてもわたしに危害を加えた人間は皆わたしと同じかそれ以上の苦痛を味わえばいいと、わたしはずっと願っている。

嫌いな食べ物だと思っていたものが実は単に嫌いなだけではなかった話

皆さんは嫌いな食べ物、ありますか?

わたしはあります。今パッと思い浮かぶものであれば、生クリーム、サーモン、アボカド、牛乳、豆乳、豆腐、肉や魚の脂身などなど…。

これらの何が嫌って、味とかではなくて何より口に入れた瞬間に溶ける、脂のような感触が堪らなく苦手なのです。大トロなんかをイメージしてもらえば分かりやすいかと思います。

実際に油分が入っているかどうかは関係なく、とにかくその感触が駄目なので上記以外にもおそらく当てはまるものは結構多いと思うんです。まあ恐ろしい。

そしてここからが本題なのですが、この好き嫌いはもしかしたら単に嗜好の差ではなく感覚過敏のせいなんじゃないか…?と思うわけです。

何故そう思ったかと言うと、わたしをご存知の方は分かると思いますがわたしはADHDであり、感覚過敏持ちです。熱いものに対して尋常じゃないくらい怖がるし、曇り空だとしても昼間は空を直視出来ません。

そしてその中でもわたしが最も嫌なのは、素手で手離れの悪いものを触ることです。言ってしまえば必要最低限でしか手を洗いたくないくらい水もそんなに好きじゃないですが、何よりベタベタ、ヌルヌル…そういったものを触るのが物凄く苦痛です。ゴム手袋なんかをしてしまえば平気なのですが、とにかく素手でそんなものを触ったときには全身寒気も鳥肌も止まりません。これは比喩表現などではなく、実際にそうなる、ということです。潔癖症ではないので逆にサラサラしていれば埃だろうとなんだろうと触れます。

皆さんで言うと、黒板をギーッと引っ掻いたときなど生理的に嫌なことを見たり聞いたり触ったりしたとき、喉奥から胃液がせり上がるような、背中に嫌な汗が流れるような、全身鳥肌が立つような、そんな感覚に陥りませんか?

わたしは上記の食べ物を口に含んだとき、同じ感覚がします。思わず顔をブンブンと振ってしまうような、身体からの全力の拒否反応が出てしまうのです。かと言ってアレルギーではないので、発疹が出たりするわけでもなく。

通常単に嗜好の差で苦手なだけの食べ物は、食べられなくもないが味などが好きではないので避けたい…程度だと聞きました。もしそれが本当だとすればわたしはそれらを口に含むという行為自体は出来ても飲み込むのは至難の業ですし、行儀が悪いですが家なんかだとそうなったときティッシュに失礼してしまうこともしばしば。わたしの拒否反応はあまりに過剰で異常ですよね。

先程昼食を摂るためシンクに放置していた箸を洗おうとしたのですが(我が家は洗い物は少し溜めてから洗う派なので前日の名残りです)、ちょうど箸を置いていた位置に油汚れがあったらしく、箸に嫌なヌルヌルが付着していました。無色だったのでそれに気付かず素手で掴んでしまったのですが、これも比喩表現などではなく本当に思わず手が震えましたし半ばシンクに放り投げる形で落としてしまいました。その後はとりあえず手を洗い、ヌルヌルを落としてから手袋をして箸を洗いましたが、そのときふと『この感覚ってあの食べ物たちを食べたときと同じだな…?』と思ったのが、今回この記事を執筆するにあたっての理由です。

思えばサーモンなんかを例にすると、別に鮭自体が嫌いなわけではないので焼き鮭なんかは好きですし、豆腐だって木綿で麻婆豆腐なんかにしてしまえばさほど分からないので一応食べられます。そもそもこれらの食べ物に関しては味わう前に感触で吐き出してしまうので、味や匂いが嫌いなわけではないと思うのです。

調べてみるとやはり食べ物の感覚過敏もあるとのことで、この仮説は正しいのではないか、という何やら確信めいたものが己の中に芽生えました。

そしてふと、じゃあ本当に"苦手なだけの食べ物"ってなんだろう…と思ったのですが、たぶんセロリとかですね。あれはゾワゾワしないので食べろと言われたら食べられるけど味と匂いが苦手です。

 

というわけで、別に何というオチも無いのですが、今まで自分は単に好き嫌いが激しい奴だと思っていたけど実際これ生理的嫌悪なんじゃ…?という気付きを得た、という話でした。

 

 

それではまた次回。

老いてゆく父を見て

先日、父親と二人で夕食を食べに行った。

よくあるハンバーグメインのチェーン店で、わたしと父親は同じグラム数のメニューを注文した。少食だったわたしは、幼い頃はいちばん小さいサイズでも食べきれなくて父親に残りを食べてもらっていたのに、いつの間にか同じ量を食べるようになって、それをぺろりと完食出来るようになった。それに対して、今度は父親がそのグラム数だとかなりいっぱいいっぱいだったようで、完食したのち満腹だと言って笑った。

父親は母親と違って自由な人だったし、仕事人間であるけれど母親に囚われているわたしをたまに外の世界へ連れ出してくれて、知らない世界をたくさん教えてくれた。

今のわたしの軸になるような正しさの必要性や、物事の公正な判断、現実世界の矛盾など、この世界の見方を教えてくれたのは全て父親だった。

ニュースで流れる小難しい政治や、かつてこの国を覆った戦争の話なんかを、幼いわたしにああだこうだと言って聞かせて、わたしにはその意味が分からなかったけどきっとそれは大切なことなんだろうと子供心に思い耳を傾けていた。

もちろん人間だから父親も完璧ではないし、わたしとは違う価値観の部分もあって、それはわたしの許容範囲を超えることもあった。純粋に全てを尊敬出来るとは言えないけど、父と母を選べと言われたら間違いなく父親を選ぶだろう。

食べるのにいっぱいいっぱいになった自分を嘲笑するように「俺も歳だな」と言って眉を下げる父親からは、今も昔も変わらず金マルの匂いがして、なんだか無性に悲しくなった。母親が毛嫌いするラーメン屋とか牛丼屋とか、煙草とか、ロックバンドとか、小難しい世界の話とか、今のうちにもっと聞いておくべきだな、と、そう思った。