lemonの掃き溜め

日々の生活や考え事、妄想などをただ綴ってるだけ。

同情するなら金をくれ

わたしの好きな漫画で、とても共感する台詞があったので紹介したい。

 

「 見ないでよ!!嫌なのその目…!!

私が私のことを可哀想と思っていなくても…!その視線が私を哀れにさせるの!! 」

明日、私は誰かのカノジョ(をの ひなお)

 

母親からの虐待で顔に火傷のような痣を負った女の子の台詞なのだが、似たような経験をした者としてはとても身に覚えがありすごく印象的だった。

中学生の頃、上手くクラスに馴染めずわたしは浮いていた。それはそのまま虐めへと発展するのだが、常に孤立しているわたしを見かねた担任教師が休み時間の度にわたしに話しかけてくるのだ。それは本当に単なる善意なのか、教師としての義務感なのか。真意は定かでないが、わたしにはそれが堪らなく惨めだった。

元々わたしはひとりが好きだし、孤独を苦だと思っていない。友達を作らないのだって強がりでなく本当に興味が無いからで、気の合う人間が居なかったから作らなかった。ただそれだけのことだったのだ。

教師や周りの人間から向けられるわたしへの視線は明らかなる好奇と同情だった。

ひとりで居ることの何が悪いのか分からないし、最低限のことはしているのだから誰にも迷惑は掛けていないだろう。それなのに、群れることこそが正解のように、自分たちが正義だと信じて疑わないその悪意ある善意が酷く不快だった。そのくせ別に話しかけてくるわけでもなく、遠巻きに眺め仲間内で嘲笑い、休み時間教室にわたしが居ると自然と皆教室を出ていく。わたしと学校の人間というのはそういった関係だった。

孤立するのは一向に構わないしわたしもそれを望んでいるが、だからと言って暴言を吐いたり物を投げたり捨てたり壊したり突然すれ違いざまに追いかけられて殴られるのは違うだろう。一応わたしも人間なのでそれなりに不愉快だし苦痛だ。

相互的に関わり合いを望まないならお互い干渉しなければそれで平和なのに、何故わざわざ攻撃を仕掛けてくるのか理解出来ない。わたしもお前らが嫌いだし、お前らもわたしが嫌いならそれで済む話だろう。中学生にもなって精神があまりに幼稚過ぎる。

同情なんていうのは、可哀想な人を可哀想がれる自分が可愛いだけのエゴでしかないんだよ。何も救えないくせに人を憐れむな、自分ひとりじゃ何も出来ないくせに一丁前に人を嗤うな。口を開けて餌を待つだけの雛鳥のくせに、誰かに、何かに逆らう勇気も無い腑抜け共がわたしを可哀想だと思うんじゃないよ。お前らが善意でやってる同情は単なる自己陶酔でしかなくて、その善意がどれだけ相手を苦しめているかなんてこれっぽっちも考えないんだろうな。そんな想像力の欠片も無い人間が気持ち悪い、心底軽蔑する。あのとき何もしなかったくせして、今になって表面上の心配や謝罪を述べて友達ヅラしてくる人間は出来る限りの苦痛を味わってほしいし、そうじゃなくてもわたしに危害を加えた人間は皆わたしと同じかそれ以上の苦痛を味わえばいいと、わたしはずっと願っている。