7割程度の出来損ない
わたしは常に7割の力しか出せない。
特にそれは仕事において発揮されることが多いのだが、新人が7割を出せたらとても優秀だけど慣れてきた身としては7割は出来損ないだろう。
わたしは常にそうだ。最初の頃はすごいすごいと褒められるけど、ずっと変わらないからだんだんと呆れられる。まだ出来ないの?もういい加減慣れたでしょ?そんな視線が突き刺さる。
つらい、つらい、つらい。自分でも分かっているだけに改善出来ないのがとてもつらい。
結果的に自分より下の人間がいつの間にか上になっていたりする現象が多々起きる。
自分の後輩が自分を追い抜いて遥かに優秀な人材へと成長していくのを見るのは、尊敬半分劣等感半分で、いやむしろ劣等感のほうが勝っているだろうか。どんどん自分のことを嫌いになって、追い詰められて、結局3ヶ月から保っても1年ほどで辛くなって辞めてしまう。
人はそれを根性無しと呼ぶだろうか。自分でもそう思うし、分かっている。
だからこそ在宅で自分ひとりで進められる作業のほうが向いているのだが、特に学生アルバイターなんて集団作業での仕事が大半だし、手に職もない高校生のわたしには高望みである。
周りの人間からすれば些細なミスかもしれないが、わたしにとってそれは17年積み重ねた劣等感の上乗せにしかならない。
わたしにとってADHDは "理由" だが、他人にとっては "言い訳" にしかならないだろう。
それを説明したところで分かってもらえるとも、理解を得た上で許してもらおうなどとも思っていない。
仕事に代わりなんていくらでも効くし、絶対にわたしじゃなきゃいけない理由なんて無い。
万が一それを打ち明けて理解を得たところで現実は変わらないし、実際のところはせいぜい偏見や同情の目を向けられるのが関の山だろう。
それこそ劣等感で滅茶苦茶になってしまいそうだし、常に罪悪感で押し潰されそうだ。
生きてることが申し訳ない。ひたすら謝るしかわたしには出来ない。ごめんなさい、ごめんなさい。そう言ったところで何も変わらないけど、もうわたしにはどうしていいか分からない。
職場に問題は無くともわたしに大問題があるので辞めたいと思ってしまう、それさえ申し訳なくて堪らない。
せっかく良くして下さっているのに、わたしが出来損ないなばかりに多大な迷惑をお掛けしている。それが申し訳なくて仕方ない。
自分を否定することでしか懺悔の仕方が分からない。
ただごめんなさいと言うしか能がないわたしは、とにかく迷惑を掛けないことだけを考えて大人しくしよう、と思う。目立たないように、迷惑を掛けないように…。
あれ、これって中学時代と何も変わらないな?
そう気付いたところでどうしようもないんだけど。
社会に適合出来ないので人生を中退したいです。