ぼくを見殺しにした大人たちは過去を正当化する
ふと、昔のことを思い出した。虐められて、大人たちに見殺しにされたことを。
ある人はこう言う。「そんな過ぎたこといつまで引きずるの?」と。「辛いことがあった分だけ強くなれるんだよ。」と。
でも、そのセリフはやられた本人が言わなきゃ意味が無い。
それに、辛いことがあった分だけ強くなれるなら、ぼくは今頃相当強いメンタルの持ち主だと思う。「考え方次第だよ」と言うが、それだって結局本人が言わなきゃ意味が無い。
何より、そういうセリフを言うのは僕の場合大抵その見殺しにした大人たちだ。ぼくのことを殺した分際で何を言う?というのが正直なところ。
責任逃れしたいだけじゃないか。ぼくが助けを求めたって聞こえないふりしてたくせに、いざ自分たちの都合が悪くなれば大急ぎで申し訳程度の助け舟を出す。
なんなのだ、そんなんで教育者を名乗るとは余程良い身分なのだな。死んで詫びてくれ、といった感情しか湧かない。
加害者や傍観者の中では全部終わったことになっているのだろうが、ぼくにとっちゃ全く終わっていない。
未だに夢に見るのだ、嗤われて貶されて無視されて殴られるあの光景を。その度に飛び起き、恐怖に震えて独り泣く。
ぼくだって好きで思い出しているわけではなく、もう記憶にこびりついて離れないんだ。どうしようもないのだ。
普段から憎しみに満ちているわけではないけれど、こうしてふとした時に思い出し、殺意がフツフツと湧き上がる。
ぼくは根暗で陰湿な人間なので、許すだなんて到底出来ないだろう。
自ら手を下すなんて馬鹿な真似はしないが、出来るだけ長く苦しんで死んでほしい。絶望と悲しみに暮れてほしい。そう願うばかりだ。
きっとこの記憶は、不快感は、恐怖は、一生拭えないし消えないだろう。