繰り返し
何度も何度も同じことを考える。毎日、毎日。
死にたいとは思うけれど、すぐに飛び降りてしまえるような行動力は無い。けれど生きたいと願うような生への執着も無い。
何故生きているのだろうと問うが、生まれてしまったから、としか答えられない。
決してこの答えは花丸ではないのだろうが、それでも事実だ。
下らない人生だと幾度と無く自分自身を嘲笑した。生きている実感が全くと言って良い程無い。
ぼくの16年間は無駄だったのだろうか。あと4年経ったってこの苦しみから果たして解放されるのか? それすら分からない。
「見えない未来のことなんか考えたってしょうがないでしょう。」というのは頷けるが、未来というのは現在の延長線上に存在する。現状苦しくて仕方がないし打開する術も無いのに、それが続いていく恐怖。もしかしたら、この苦しみからは解放されないかもしれないのに? ゴールが見えないまま、もしかしたらゴールなんて最初から存在しないかもしれないのに、我武者羅に走り続けるマラソンなんて御免だ。
いっそ、と死を望んだことは数多と存在するが、死ぬ勇気なんてどうせ無いのだ。
痛みも苦しみも恐怖も無く、眠りに就いたらそのまま目が覚めないで欲しいと願う。
「お前より辛い人間はたくさん居るんだぞ。」とか、聞き飽きたんだ。
辛いと思うことさえ許されないなら、もうぼくが生きてる価値など無いも同然だろう。存在していることすら馬鹿らしくなる。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない。」とか、馬鹿らしくて笑いが込み上げてくる。じゃあこれまでその " 試練 " とやらを乗り越えられずに自らの命を投げ捨てて逝った者達は、なんだったと言うのか。馬鹿にするのも大概にしろ、死んでいった人間を踏みにじるようで胸糞が悪い。
誰でも良いから助けて欲しい。そう声を上げたことは幾度と無くあるが、どれも届かぬ願いだった。ぼくは " 無かったこと " にされたのだ。
何故生まれたのだろうと、また、考える。答えは同上だ。こんな堂々巡りに意味が無いことくらい理解している。それでも、為す術無くただ存在しているだけの現状、思考を巡らせることしかやることが無いのだ。
もう、疲れたのだ。誰でも良いから助けて欲しい。もう自分を否定し続けるのも疲れた。嗤われるのも疲れた。嘲笑に愛想笑いを返すのも疲れた。ぼくを殺すのも、疲れた。