lemonの掃き溜め

日々の生活や考え事、妄想などをただ綴ってるだけ。

行き止まり

ふと、逃げ場のようなものがあったら良いなぁ、と思った。

学校やらバイトやら家庭環境やら、辛いと感じることは日常にいくらでも溢れてるけど、あと数年すれば成人して少しは自由になれるだろう。でも、その数年を待つのがどれだけ辛いか。そして、数年後、成人したとしてもその辛さが完全に消える訳では無い。

そんな曖昧な未来を思い浮かべ、日々憂鬱になる。

そうして人は、ふと「死にたい」だなんて思ってしまうんだろうな、と。

そんな時に、なんかこう、金がなくても学歴がなくても男でも女でも未成年でも成年でも障害があっても、安心して逃げ込むことが出来る空間があれば良いな、と。

まあ、あまり現実的な話ではないので実現するのはかなり難しいとは思うが。

会議で居眠りこいてる政治家さん達、寝てる暇があったら俺ら国民の税金でちょっとは本当の幸福ってやつを実現してくれませんかね。頼みますよ、本当に。

 

あーあ、なんか良いことないかな。お節介でなぁんにも分かってない外野から綺麗事をぶつけられるのももう散々だし、親も教師も、周囲の大人は誰も頼りに出来ないし、お金は無いし。

今すぐ家を飛び出して、学校もバイトも辞めたら、晴れて自由の身!…なぁんてことは、ありえないわけで。

よく、「辛いなら立ち止まっても良いんだよ」なんて言葉を聞くけど、俺はこれほどまでに無責任な言葉は無いと思う。

確かに立ち止まって休息を取り、現状への打開策を練ることは必要だと思うけれど、その立ち止まっている間も刻一刻と月日は過ぎていくし、その分遅れたものはどうやったって取り返せない。

たとえば、学校が嫌で嫌で辞めるなり休むなりしたとしよう。その分出席日数が足りなかったりして、留年したら?

その分卒業も進学も遅れるだろう。就職で不利になるのは目に見えている。

じゃあしんどいバイトを辞めたら?その間、金銭的援助をしてくれる身内等が居なかったら?

どうやって生活していけと言うのだ。貯金だって有限だ、いつかは無くなる。

この「辛いなら立ち止まっても良いんだよ」というのは、周囲に手を差し伸べてくれる何者かが一定数存在しているからこそ初めて " 立ち止まる " ということが実現出来るのであって、そうでない場合は立ち止まって休むことも、今後について考える暇もなく、憂鬱に飲み込まれて日々を見送るだけなのだ。

かと言って、立ち止まっても良いと言った張本人は我々に何か救いを与えてくれるわけじゃないことが殆どである。なんて無責任な話だ。

まさに「同情するなら金をくれ」という言葉がピッタリだな。

理想を語るだけで現実的問題には目を背ける、快楽主義の自己中人間はお呼びでないのです。

まあそんな俺も、ありもしない理想をベラベラ無駄口叩いて喚くうるさい公害だけどな!

 

はい、本日もお疲れ様でしたー。皆様おやすみなさいませ、良い夢を。