lemonの掃き溜め

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正義

皆さんは、何かを判断する上でどういったことを考慮し、最終的な判断材料にするだろうか?また、どういったものは判断材料に含まないよう気をつけているだろうか?

俺は、物事を正しいか否か、で判断しているつもりだ。そこになるべく感情を入れないようにしている。

感情とは刻々と移り変わるものであり、今日の俺が考えていることを明日の俺が考えているとは限らない。もし、何か重大な決断をしなければならないとして、一時の感情で決めてしまうと後々後悔することになってしまうかもしれない。

人生において後悔とはあまりすべきではないし、無駄に増やすものでもない。何より、一度進んでしまったものはもう後戻り出来ないのだ。俺はそれが嫌なので、一時の感情に流されて物事を判断しないよう心掛けている。

もちろん、必ずしも正しい判断をしたからと言って、その正しさは自分にとっての正しさであり、他者からすれば誤りかもしれない。だがしかし、人生において全ての決定権は自分にあるのだ。他者の正義など関係のないことだろう。

 自分にとって、本当に正しいと思えることを選択することが重要だと俺は思う。

ただし、この「物事を感情ではなく正しいか否かで判断する」というのには、ひとつ落とし穴がある。

それは、必ずしも正しい判断をしたからと言って、幸せに繋がるとは限らないからだ。

もちろん、幸福の定義は人それぞれであり、正しい選択をすることこそが幸福である!と言うのであれば、その人は実に幸福なのであろう。それはそれで大変素晴らしいことだと思うし、無理に捻じ曲げる必要性は無い。

しかし、この「自分にとっての正義を追い求める行為」というのは、少なからず他者からの反感を買うものだ。

例えば、今これを読んでいる貴方が学生だったとしよう。クラスで虐められている人が居たとして、それを貴方は止められるだろうか?

もちろん、虐めは良くないことだし、被害者を救い出すことが出来ればそれはとても立派なことだ。

しかし、現実とはそう簡単なものではない。

被害者を庇ったら、今度は自分も虐めのターゲットになってしまうのではないか?もしかしたら被害者を救うことも出来ず、なおかつ自分も虐めの被害者に加わるだけなのではないか?

そう思ってしまうのも無理はない。クラスに充満した得体の知れない団結感(これを同調圧力とも言う)や、いつ自分がターゲットにされるか、という恐怖心。そういった恐怖が、自分の正義を邪魔することもあるだろう。

それでも被害者を助け出すというのなら、素晴らしいことだと思う。しかし、先ほども懸念したように、被害者は助かったものの次は自分がターゲットになってしまったら?または被害者も助からず、更に自分も次なる被害者になってしまったら?

もし、それで耐え切れないくらい辛く苦しく、鬱状態になり、自殺を考えるほどにまで追い詰められてしまったら?

それは果たして、幸福と言えるだろうか。少なくとも、俺はそれを幸福だとは言えない。

確かに被害者を助けようとする心は素晴らしいことだが、他者の幸福の為に自分を犠牲にするのは、本当に正しい選択と言えるだろうか?

全ては自分本位であり、自己中心的な考えというのはあまり悪いことだと俺は思わない。

確かに、自分のやりたいことを好き勝手やって他者に迷惑を掛け放題なのは如何なものかと思うが、自分には何の関係もない他者を、それこそ虐められていようが自分には何も害がない他者を助ける義理がどこにあるだろうか?

正義とは犠牲の上に成り立つものであるが、しかし犠牲ばかりを生んで誰も幸せになれないのであれば本末転倒だ。

ならば、他に何かやるべきことがあるだろう。

例えば、親や教師、責任者、教育委員会などに報告するなど、他にいくらでもやりようがあるのだ。

ひとつの方法に固執するのは、あまり賢いやり方とは思えない。

自ら身を差し出してまで他者を助ける行為は正義とは言わない。単なる自己犠牲と、自己満足だ。

俺は昔、そのことに気付かず己の心身をボロボロになるまですり減らしてしまった。その傷痕は今も残っているし、深く深く根を張った固定観念はそう簡単に消えるものではない。

俺は昔の自分が間違っていたとは思わないし、人として正しい選択を出来たことを誇りに思っている。しかし、それが幸福だったかと言えば、答えは否だ。

むしろ、周りの人間と同じように、周囲に流され、傍観者であった方がきっと幸福だっただろう。

そういった意味では、正義は犠牲の上に成り立つものだ、というのはその通りだと思う。

皆さんも、何かを決断する場合はよく考えてほしい。傷を負ってでも己の正義を貫くか、己の幸福を願うか。

別に俺は己の幸福を望むことを悪いことだと思わない。それもまた、ひとつの正義だろう。

ただひとつ言えることは、周りに流され、一時の感情に任せて曖昧な判断をし、後悔してほしくない、ということだ。

どうか皆さんに幸あれ。

 

 

では、また次回。