lemonの掃き溜め

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性別違和

お久しぶりです。

以前、Twitterにてポロッと「そういえば性別違和あるって話したっけ?」と何気なく零したところ、「えっ何それ、そんなの知らない」という反応をいくつか頂き、「じゃあ気が向いたら今度ブログで詳しく話すわ〜」と言ったキリでしたので、今日はその話をしようと思います。

 

 

そもそも「性別違和」とは何か

 

以下、引用。

「性別違和」とは簡単に言うと、「決められた性別」と「本人が経験している性別」が違う状態のことです。

 

例えば、

戸籍上は「男性」でも、自分自身は男性ということに違和感を感じている。

といった感じ。

性別に違和感を感じているので「性別違和」ですね。

 

性同一性障害とは何が違うの?

性同一性障害と同じ?と思うかもしれませんが、「性同一性障害」と「性別違和」は少し違うものです。

 

性同一性障害とは簡単に言うと、

「生物学的な性別」とは「反対の性」だと思う、ということ。

 

例えば、

生物学的には男性だけど、自分自身は女性だと思う

といった感じ。

 

なにが違うの?と思うかもしれませんが、例えば次のような場合を考えてみてください。

 

戸籍上は「男性」だけれども、男性ということに違和感を感じている。けど女性になりたいかと言われれば、それも違う気がする。

 

この場合、性同一性障害ではないですが、性別違和ではありますよね。

( 引用元:https://www.cocolabo.me/seibetuiwa-towa/ )

 

私は、小さい頃から「男になりたかった!」と思うことが多々ありました。

特に幼少期は喧嘩っ早く、クラスの男子としょっちゅう喧嘩したりと、お恥ずかしい話ですがかなりおてんばな子供だったのです。

しかし、小学校高学年になり、ある時「どう足掻いても私は女なんだ、男の力にはもう勝てないんだ」と気づいたのです。それが悲しくて、悔しくて、どうしようもなく辛かった記憶があります。

その頃からでしょうか。私は度々、ふと「男になりたい」と思うことが増えました。

当時は「性別違和」なんて言葉を知りもしなかったので、一体自分は何なのだろう、という、ふわふわとした曖昧で不思議な感覚のまま過ごしていました。

 

地獄の青春時代

 

そんな風に曖昧でふわふわした日々を送っていた私ですが、中学生になり、更に強く「男になりたい」と思うようになりました。

当時の一人称は周りがみんな使っているからという理由で「うち」と言っていたのですが、どうもしっくり来ず、悩み悩んで「僕」を使うようになり、やがて「俺」と言うようになりました。

当然私の見た目は女ですし、一般的に女性が「俺」と言うことなんて殆どありません。

もちろん最初は周りに色々言われましたが、使い続けるうちに周りも慣れたようで、もはやそれが当たり前になっていました。

しかし、学年が上がり、実は1年生の頃から始まっていた虐めがエスカレートし、私の精神は確実に狂っていきます。

自分はおかしいのではないか、異常なのではないか。そうだ、俺は女なのに、なんで俺と名乗るのだろう。おかしい、おかしいじゃないか。

次第にそう思うようになり、自分を責め、悩みながらも「私」と言うようになりました。

 

当時私には好きな男性がおり、長いこと想い続けて居ましたが玉砕。一時的に彼とは音信不通となりました。

虐めに加え、失恋したことにより私の心は崩壊気味です。同時期にリストカットに出会い、私はすぐに自傷行為の波に溺れていきました。

しかし、そんな時に手を差し伸べてくれる男性が現れました。

それは以前からネットで仲良くしていた、2つ年上の男子高校生。

夜遅くまで私の愚痴や泣き言を聞いてくれたりと、今まで何があったのかを全て説明しても受け止めてくれました。

なぜそんなに親身になってくれるのか聞くと、「貴女が好きだから。」と。突然の告白にとても驚きましたが、当時私の心は完全に弱り切って居たので、何も疑うことなく彼を頼り、次第に惹かれるようになりました。

数ヶ月後、彼とお付き合いをすることになり、無事交際スタート。

彼は先ほども言ったように私の2つ年上で、中高一貫の男子校に通う高校1年生でした。

中高一貫の男子校に通う高校生…。それがどんな意味を示すかと言えば、要するに思春期真っ盛り、ということです。

普段女の子と関わる機会がない彼らは、女の子との適切な距離感が分からずグイグイ来る方も中には居ます。そう、彼がまさにそうでした。

当時私は中学2年生で、流石に処女を卒業するには早過ぎると思い、そういう行為に及ぶなら高校生になるまで待ってほしい、と言いました。

彼はそれでも構わない、と答えてくれ、一安心。と思いきや、遠距離ゆえ普段はLINEや通話がメインなのですが、トークは生々しい下ネタまみれ、通話してる最中にエロゲーをやる等々の始末。

流石に呆れたというか、それを通り越して「もしかして、身体目的なんじゃないか…?」と思うようになりました。

一度疑ってしまうと、どんどんそういう風にしか見えなくなってしまい、何度も辞めてほしいと訴えたものの彼は聞く耳を持たず。募る不信感。嫌悪感。

8ヶ月目のある日、私は悩み悩んで彼に別れを切り出しました。

 

彼は、たった一言「ノシ」と返信し、そのまま私をブロックしたのです。

 

私の8ヶ月間はなんだったのだろう。そう思うと、只々絶望の海に沈んでいくだけでした。

そのままぼんやりと日々を過ごし、私は3年生になり、虐めはエスカレートし、精神状態はどん底になり、夏休み明けに学校で倒れて不登校になりました。

そこからはご存知の方も居るかと思いますが、中学校生活残り半年、というところでフリースクールに通い始め、精神状態を徐々に回復させていき、今に至ります。

 

どん底の恋愛経験をしたからこそ、分かったこと

 

曖昧な違和感を抱えたまま、そんな青春時代を這いつくばった私ですが、最近になってようやく理解したことがあるのです。

 

  1. やはり私は完全に見た目も中身も女とは言い切れない。
  2. 男か女かで言えば男になりたいが、かと言って自分の身体にそこまで激しい嫌悪感を抱いているわけでもないし、適合手術や改名には興味がない。
  3. 人の性別は必ずしも男女の二択で分けられるわけではないので、恐らく私は男女どちらでもない、中間の存在であると認識している。
  4. 一人称について散々悩んでいたが、やはり「私」と言い続けるのは心苦しいので最近は昔のように「俺」と言うようになった。とてもしっくり来ている。
  5. 恋愛対象は男女どちらもだが、性的対象は女性のみ。男性から性的対象として見られるのは、正直苦痛でしかない。性交渉において私が「受け入れる側」であることが、そもそも気持ち悪くて仕方ない。

 

と言った具合です。

スカートなどの女性らしい服装をしたりすることに抵抗はないので、恐らく私は精神面さえ男性のように扱ってくれれば大した不快感はないのだと思います。

 

とにかく私は「女ならこう在るべき」「男ならこう在るべき」という縛りが不快極まりないのです。

例えば「女の子なんだからもっとお淑やかにしなさい」とか「もっと女の子らしい格好をしなさい」だとか。

別に私はピンクのふわふわロリータを着なくたって生きていけるし、流行を意識して生クリームまみれのパンケーキを食べなくても平気だし、お淑やかにしなくても死なないし。

そもそもなぜ赤の他人にそんなことを言われなきゃいけないのか、全く理解出来ないのが正直なところ。

私がいくら可愛らしい女の子になろうと、その人の人生には1ミリも影響がないので放っておいてほしい。

実際に私は今金髪ショートヘアにパンク系の格好をしていますが、もちろん男ウケは最悪です。ナンパも一切されなくなりました。

でもそれで良いのです。私は今、人生で一番自分を好きになれているから。

他人にとやかく言われず、自分で稼いだ金で好きなように出来ることが、幸せで堪らない。

私は今、とても幸せです。

 

そして、好きな人が出来ました

 

さて、ここまで好き勝手に書いてきましたが、最近私には好きな人が出来ました。

相手は同い年の女の子で、今はその子が可愛くて可愛くて堪らないです。

まだ交際には至ってませんが、相手は私がそういう意味で好きだということも知っているし、お互いがお互いのことを好きで居ます。

まだ交際に発展するかは分からないですが、私は生まれて初めて女の子を好きになって、ようやく今まで感じていた違和感の正体を見つけました。

そう、それは先ほども述べたように、「男性から性的対象として見られる」、「性交渉において、私が''受け入れる側''である」ということです。

この二つが無くなった今、純粋に彼女を好きだと思うことが出来るし、何より今まで人を好きになっても自分から相手を求めることは殆ど無かったのに、正直な話、今すごく彼女の身も心も欲しい。

過去に私が性的対象としてしか見られてないということに傷ついた経験があるので、そんな急かすような真似をする気は一切無いですが、確実に欲しいという気持ちが芽生えています。

要するに、男側の欲求、ということです。

 

ようやく、自分という人間の正体が分かった気がしました。

私は15年のかくれんぼに、終止符を打ったのだと思います。

きっとこれからも道に迷って、見つからなくて探し回るだろうけど、もう大丈夫。なんとなくそんな自信があります。やっと自分を見つけたのです。

 

 

これからはTwitterだけでなくブログなどでも一人称を徐々に変えていく予定ですが、俺が俺であることに変わりはないので、今まで通り気が向いた時にでも記事を読んでもらえたら嬉しいですね。

これで、俺の性別違和に対する話はおしまいです。

俺はやりたいことをやって、好きなものは好きだと言って、今まで向き合えなかった分自分のことをもっとちゃんと見てあげようと思います。

それが辛い過去を乗り越えた、自分へのご褒美かな、なんて。

 

 

 

では、また次回。