lemonの掃き溜め

日々の生活や考え事、妄想などをただ綴ってるだけ。

かくれんぼ

どうやら昨日はスーパームーンだったらしい。

どうせ見えないし、見えても望遠レンズも三脚もないただのカメラじゃ無理だろうと思ってカーテンを開けることさえしなかった。

 

月はどこにいるのだろう。

うさぎは住んでいるのだろうか。

満月の晩、ひょっこり顔を出したりするのだろうか。

月は魔力がある。

満天の星空も、きっと敵わない。

だけどそれを眺める愛する者の瞳に映ったプラネタリウムが、何より美しいことをまだ知らないでいる。

 

私の誕生日は1月だが、名前の由来は七夕に近いものがある。

こんな綺麗な名前、自分には不釣り合いだなとよく思ってしまう。

なぜ両親はこの名前を付けたのか、よく分からない。

単純に付けたい漢字があって、由来は後付けだから特に理由なんてないらしい。

私とは、なんなのだろうと思う。

だけどむしろ、理由なんてない方が良いのかもしれない。

もし理由があったら、その理由が失くなってしまったり達成してしまったりしたら「私」という存在に意味がなくなってしまう。

そう思うと、何もない方が良いのかもしれない。

 

昨夜は大変だった。

定期的に訪れる破壊衝動を必死に抑え、ハッと我に返って冷静になり、自己嫌悪の鬱に飲み込まれて静かに泣きながら眠りに落ちた。

これはなんなのだろう。

私は今のところ双極性障害の疑いもなければ、ましてや診断されたこともない。

だけど若干似ている。まあ似ているだけできっと違うのだろう。

女性特有の生理前のイライラかと思えば、月に数回この破壊衝動は訪れるからおそらくそれとは無関係であろう。

じゃあこれはなんなのか。

何か原因があるのか、私の性格なのか、もしくは誰にでもよくあることなのか。

それは現時点では何も分からない。

何もかもを壊してしまいたくて、でも人や物に八つ当たりするのだけは避けたくて、どうにかして冷静になろうと自傷行為を繰り返してしまう。

リスカやボディステッチは、1〜2年前にやめた。

いや、正確に言えばやめさせられた、が正しい。

親と教師に見つかって散々根掘り葉掘り何かあったのかと聞かれ、もうこんなことはするなと言われた。

そこからは面倒だったから素直にやめておいた。

私は面倒なことが嫌いなのだ。

だから、唇の皮を剥がしたり皮膚を掻き毟ったりと比較的目立たず、「癖」で済む小さな自傷行為を繰り返してきた。

今では唇はまだらになり、皮膚の再生が追いつく前に剥がして血が滲むことも多々ある。

思えば幼い頃から私はイライラしたり悲しくなったりすると痛みで冷静になろうとする節があった。

あれは幼稚園児の頃だろうか。

理由は覚えていないが、イライラして自分の首を絞めてみたり皮膚を掻き毟ったりしてみた。

するとイライラよりも痛みが上回り、イライラは治ったのだ。

それからというもの、私はイライラしたりすると何かしらの痛みを加えて冷静になろうとしていた。

まあ元々そんなに怒りっぽいわけではないので、幼少期はほとんどやらなかったが。

しかし、小学生時代はクラス替えをする度にいじめに遭い、それは中学でも続いて対人関係を上手く築けなくなり、人が怖くて仕方なかったしその他ストレスが重なりリストカットを始めるようになった。

常に死にたい気持ちを抱え、信頼する人に複数回裏切られ、私は完璧なメンヘラと化していた。

止まらない自傷行為。消えた自尊心。

中3で耐え切れなくなり、不登校

今はフリースクールに通い、特に何もない生活を送っている。

…ように見せかけている。

此の期に及んで何が不満なんだと、そう思うだろう。

私にも分からない。

何もないのだ。心が空っぽになってしまった。

何年間も積み重ねてきたものが、いきなり取り除かれたから私は何をして良いのか分からないのだ。

1番大事な成長期であり自我の発達期間でもある中学時代を死に物狂いで耐えてきたからこそ、突然何もなくなって何をしたら良いのか分からなくなった。だから空っぽだと感じているのだろう。

ぽっかり真ん中に穴が空いて、どうすることも出来ずロボットみたいに毎日を見送っている。

笑うことは出来ても、どこか冷静に見下ろしている。

上手く、まとまらない。

胸の奥で何かがぐるぐる渦巻いている。

私はいつかこのぐるぐるに殺されるんだと、そう感じている。

よく目が死んでいる、肌が青白い、身体が冷え切っている。そう言われる。

まるで死体のようだと、何かが笑っている気がする。気がするだけだ。

私の中身はどこにあるのだろう。

どこに置いてきてしまったのだろう。

最近はもう泣くことも出来なくなってきた。

自我がないのかと言われれば、おそらくあるだろう。

だけど自傷行為、つまりリストカットやボディステッチをやめたのは私の意志ではなかった。

やめろと言われ、詮索され、面倒だったからやらなくなった。代わりに違うことをし始めた。

ただそれだけだったのだ。

いつまでも抜け出せないでいる。

自己肯定が出来ないままでいる。

劣等感と自己嫌悪と罪悪感の塊なのだ。

私は私とかくれんぼをしている。この14年間、ずっとだ。

まだ見つけられないまま、14年が経ってしまった。

来年で15年が経つ。

いつになったら姿を現してくれるのだろう。

まだまだ私は私と終わりの見えないかくれんぼをするしかないようだ。

 

今日は上手く言葉がまとまらなくて読み辛かっただろうか。申し訳ない。

 

では、また次回。