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lemonの掃き溜め

日々の生活や考え事、妄想などをただ綴ってるだけ。

朝食兼昼食

12時を過ぎ、ようやくベッドから起き上がった。

今日のご飯は春雨スープとカツサンド。

私にとっては朝食でも、世間では昼食だ。

 

今朝、寝る前まではあんなに綺麗だった空も曇っている。

曇りというのは、晴れでも雨でも雪でもない、そんな微妙な天気だ。

だけどこうも考えられる。

太陽を遮り、水を溜め込み、雨もしくは気温によっては雪を地球に突き落とす曇りは意地悪だ。

でもきっと、地球に居た水たちを地球に帰しているのだろう。ただちょっと帰し方が乱暴なだけで。

そう思うと少しは曇りが好きに…なれるかもしれない。

でも気分的には、晴れの方がやはり嬉しいのは間違いない。

 

昔は空を飛べば雲に乗って眠れるのだと思っていた。

サンタさんはどこか寒い雪国に住んで居て、レンガの大きな家で暖炉の前に座って子供達へのプレゼントを用意しているのだと思っていた。

なんの根拠もない自信が、確かにそこにあった。まるで当たり前のように。

だけど実際は雲には眠るどころか乗れないし、サンタは親だし、なんなら違う国ではクリスマスが夏でサンタが半袖短パンだったりもする。

冷静に考えれば分かることでも、幼い頃は何ひとつ疑わず雲で昼寝が出来てサンタは雪国に住んでいると思っていて、いないはずの「サンタさん」や「雲のベッド」に思いを馳せていた。

だけど成長して、色々なことを知って、真実に気づいてしまう年齢に私はなった。

そして雲のベッドやサンタという夢の塊に、現実を突きつけてしまうようになった。

あれはただの霧で、降り立つことも出来ないしそもそも空を飛ぶことすら出来ない。

もしサンタが実在したら、世界中にプレゼントを配るだなんて無謀なことをするのはあまり賢いとは思えない。

だってサンタ側に何の利益もないから。

例えば親がサンタと交渉して、金銭的取引をしているとしたらそれはただのおもちゃ屋で事足りるからサンタがいる必要性はない。

だって子供は寝ているから。

よく考えたら都合の良すぎる話だ。

 

だけど夢物語に現実を突きつけてしまうようになった自分は、なんなんだろうと思う。

子供の夢を破壊する憎たらしい大人となんら変わりはない。

私はあと数年で大人になるのだ。

いや、夢物語に現実を見てしまう時点でもう大人なのかもしれない。

きっとこれが世の中で言う「半人前」というやつなのだろう。

嫌だ、大人になりたくない。

なんでもかんでも「子供だから」で許されていたい。

だけどお金が欲しいから、大人になりたい。

 

巨万の富を得て、なんでも許されたい。

 

きっとこんな汚い欲望を抱いているのも、大人になりかけているからだろう。

金で買えないものなど、おそらくないのだ。

愛だの命だの、そんなものもきっと買おうと思えば買えるのだろう。

だけど世の中では「買っちゃいけない」ことになっているから、「買えない」ことにしているのだ。

でも実際に命は買える。

例えば臓器移植。例えばペットショップ。例えば食品売り場。例えば花屋。例えば…キリがない。

多かれ少なかれ、私たちは日頃から命を買っている。

それを食べたり、可愛がったり、楽しんだりしているのだ。

「命を買う」というのは何も人身売買だけじゃない。

臓器移植も、立派なドナーの命の一部だ。

食品や植物はそのままの意味。

ペットショップに関しては完全に動物そのものを販売している。

つまり自分の価値は決まっているのだ。

どこかの人間に拐われて、どこかに売られるとする。

その時の取り引きの値段が、その拐われた人間の価値だ。

きっと権力やらなんやらを持っているほど、その取り引きの値段は上がるのだろう。

そう考えると、「愛があればお金なんて…!」だとかそんな生ぬるいことは言えなくなる。

私は絶対的な権力と莫大な金が欲しい。

下っ端に指図して、自ら動こうとしなくても飯が運ばれて洗濯機は回って部屋は清潔になっていてほしい。

何を買おうか悩まなくとも、欲しいものは全て手に入れたい。

 

そう、不安でたまらないのだ。

 

信頼や愛なんて目に見えない。簡単に消えてしまう。

そんな不確かなものを、信じられる人間にはなれなかった。

信じたいと願うから、今のところ少ないが友人もいるし家族もいる。

だけどきっと本当に信じられなくなったら友人もいないし家族も手放すのだろう。

そんな全てを信じられなくなるようなことは起きて欲しくない。

何かに絶望するのはもちろん嫌だ。

全てに希望と自信を持って、輝いた何かを手に入れたい。

不確かなものを、ただ真っ直ぐに信じられる人間になりたい。

だからこそ、その不確かな愛だのなんだのを求めるのだ。

それを真実だと証明する為に。

 

私はそんな不確かなものを証明しなきゃ信じることさえ出来ないような人間なのだ。

そんな人間になってしまった。

これも大人になるということなんだろうか。

じゃあこれを信じている大人は、子供なんだろうか。

大人ってそもそもなんだ。

世間の荒波に揉まれて汚い取り引きをしてどす黒い感情をかき混ぜているのが大人なんだろうか。

そうなら、私は大人にはやっぱりなりたくない。

 

でもさっき言った絶対的な権力や莫大な金なんて手に入らないし、愛を信じるような出来事もそう起こらないし、望みを叶えようという行動も起こさない。起こせない。

 

全て面倒なのだ。

 

所詮は全て面倒だということで片付いてしまう。

そのうち生きることも面倒になって、手放すのかもしれない。

何もかもを手放してしまう前に、何か少しでも信じられるものがあるといいな。

 

生きがい、それはあった方がいい。

私は大大大好きで愛してやまない歌い手・96猫(通称96ちゃん)が生きがいだ。

96ちゃんがこの世に存在していることに価値があり、それだけで私は生きていける。

それは依存でもある。

もしも、考えたくもないけど96ちゃんが居なくなったら私は全てを捨てるのだろう。

これを「愛」だと思うことにしている。

所詮はファンの1人でしかないのだが、私にとって96ちゃんはこの世で1人なのだ。

 

さて、タイトルが「朝食兼昼食」なのに飯の話なんて冒頭で少ししかしていないな。

まあそんなのはどうでもいいか。

 

これを書き終えたら私は出かける支度をする。

浜田省吾という素晴らしいシンガーソングライターのLIVEに行くのだ。

さいたまスーパーアリーナ。結構前にも行った気がする。

帰ってきたら感想やらなんやらをまた綴ろうか、そんなことをぼんやり考えている。

 

では、また次回。