繰り返し
何度も何度も同じことを考える。毎日、毎日。
死にたいとは思うけれど、すぐに飛び降りてしまえるような行動力は無い。けれど生きたいと願うような生への執着も無い。
何故生きているのだろうと問うが、生まれてしまったから、としか答えられない。
決してこの答えは花丸ではないのだろうが、それでも事実だ。
下らない人生だと幾度と無く自分自身を嘲笑した。生きている実感が全くと言って良い程無い。
ぼくの16年間は無駄だったのだろうか。あと4年経ったってこの苦しみから果たして解放されるのか? それすら分からない。
「見えない未来のことなんか考えたってしょうがないでしょう。」というのは頷けるが、未来というのは現在の延長線上に存在する。現状苦しくて仕方がないし打開する術も無いのに、それが続いていく恐怖。もしかしたら、この苦しみからは解放されないかもしれないのに? ゴールが見えないまま、もしかしたらゴールなんて最初から存在しないかもしれないのに、我武者羅に走り続けるマラソンなんて御免だ。
いっそ、と死を望んだことは数多と存在するが、死ぬ勇気なんてどうせ無いのだ。
痛みも苦しみも恐怖も無く、眠りに就いたらそのまま目が覚めないで欲しいと願う。
「お前より辛い人間はたくさん居るんだぞ。」とか、聞き飽きたんだ。
辛いと思うことさえ許されないなら、もうぼくが生きてる価値など無いも同然だろう。存在していることすら馬鹿らしくなる。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない。」とか、馬鹿らしくて笑いが込み上げてくる。じゃあこれまでその " 試練 " とやらを乗り越えられずに自らの命を投げ捨てて逝った者達は、なんだったと言うのか。馬鹿にするのも大概にしろ、死んでいった人間を踏みにじるようで胸糞が悪い。
誰でも良いから助けて欲しい。そう声を上げたことは幾度と無くあるが、どれも届かぬ願いだった。ぼくは " 無かったこと " にされたのだ。
何故生まれたのだろうと、また、考える。答えは同上だ。こんな堂々巡りに意味が無いことくらい理解している。それでも、為す術無くただ存在しているだけの現状、思考を巡らせることしかやることが無いのだ。
もう、疲れたのだ。誰でも良いから助けて欲しい。もう自分を否定し続けるのも疲れた。嗤われるのも疲れた。嘲笑に愛想笑いを返すのも疲れた。ぼくを殺すのも、疲れた。
近状報告
皆様、こんばんは。いや、おはようございます?
なんにせよ、午前5時という本来なら健康的過ぎる時間にブログを書き始めているわけですが、まあこれは所謂徹夜というやつなので、健康もクソもないです。
さて、長らくブログを更新していなかったので、まずは近状報告といきましょう。
lemon、バイト辞めたってよ。
はい、バイト辞めました。
知ってる人も知らない人も居ることかと思いますが、ぼくは某イタリアン系ファミリーレストランにて働いておりました。だいたい半年とちょっと、といったところでしょうか。
いや〜、しんどかった。
マジで、マ〜ジでキツかった。なんでぼくは人生初のアルバイトにあそこを選んでしまったのだろう。
ここから先は決して某イタリアン系ファミレスの評価を下げたいだとか、そういった意図は含まれていないことだけ言っておく。いち従業員の(元だけど)、たわいもない愚痴だと思ってくれ。
まず、当たり前だが飲食店なので皿が重いし熱い。知ってる人も多いだろうが、あのファミレスは従業員がお盆を使わず素手で大量の皿を運ぶ。
一応皿同士の重力や窪みなどを利用した云々で、理論上は可能なことなのだがいかんせん重い。そして熱い。ベテランのパートさんでも「いや、熱いものは熱いし重いものは重い。」と言うほどだ。まあ当たり前なのだが。
火傷なんて日常茶飯事だし、忙しければそれだけ運ぶ量も多くなり、必然的に手首が壊れそうになる。いや、なんなら腱鞘炎になりかけた。
研修初日、ぼくは思った。「いや、馬鹿じゃねえの?」と。
どう考えてもあれ人が持っていい量じゃないでしょ。なんでお盆使わないのよ。びっく○ドンキーさんみたいにカートとか使おうよ。
先輩「案外慣れちゃえば楽勝だよ〜!」
え、どこが?慣れても無理なもんは無理です。いいですか皆さん、人間には限界というものがあるんです。人の腕は二本しか無いのに、10枚以上皿を抱えてグラスを6本持つって馬鹿ですか?死にますよアンタ…。
他にも、ああいう安い店は客の質もたかが知れてるので、まあ当然厄介なクレーマーや態度の悪い客なんて吐いて捨てるほど居るんですよね。
いやはや、普段Twitterなんかでそういった悪意の塊みたいな人間のツイートとか見ますけど、実在するんだなぁって無駄に感心しました。まあ働いてるうちは死んでほしいとしか思ってなかったですけど。
世の中には死ぬほど下らないことでもいちいち神経に障ってブチ切れて他人に文句を言わなきゃ気が済まない人間が一定数居ることに気付きました。社会って怖いね。
絶対にこうはなりたくない、と思った瞬間でした。
そして何より、そんなゴミみたいな人間を日々相手にしてると、ちょっとしたことでも涙が出るほど嬉しくなるんですよね。
例えば、お会計の後に「ご馳走様でした」って言ってくれるとか、料理を受け取った時に「ありがとうございます」って一言添えるとか。
なんかもう、常日頃から人の怒りに触れてると、こういう小さなことでも泣けます。実際、初めてお礼を言われた日には帰り道ちょっと泣きました。
別にお礼を言われたくてやってるわけじゃないけれど、こういう小さなことひとつひとつにその人の人柄が出ますよね。こういう人間になろうと思ったし、実際言うようになりました。
人に優しく出来るのは自分に余裕が無いとなかなか難しいことだと思いますが、皆さんもちょっと自分に余裕がある時は是非コンビニなりファミレスなり店員さんに優しくしてあげて下さい。心がほんわかします。
今度は逆に、一番悲しかったことを書いてみます。
ある日、とある若いカップルが来店されたんですが、ちょうど夕方で昼間の忙しいピークが過ぎ、片付けでバタバタしつつ従業員が少ない時間帯だったんですよね。
そこでカップルの女はポテトフライ、男はイタリアンハンバーグと、それぞれドリンクバーを注文したんです。まあここまでは良いんですよね、よくあることなので。
暫くしてそのカップルが退店したのでそのテーブルの片付けに入ったんですが、なんと料理に全く手をつけていなかったんです。
女の方は半分くらいポテト食べてたっぽいんですが、男の方は一切食べてませんでした。本当に全く、一口も食べてなかったんです。
出した時のままの状態で、固まってました。
恐らく人数分の料理を頼むとドリンクバーがセット料金になるので、それ目当てなんでしょうが、ゆーてたかが90円ですよ?
ドリンクバーの単品は280円で、セットだと190円です。
確かに90円はそこそこ大きいかもしれませんが、だとしてもそこらのファミレスより単品価格はかなり安いですし、というかそもそも食べられない物を頼むなって話ですよ。
食べ残しくらいいつものことなので何とも思いませんが、流石に全く手が付けられていないのは初めてのことだったし、何よりお昼のピークがいつもより人手が足りず忙しかったのもあって、初めて廃棄処分の時に泣きました。
お願いです、自分が食べ切れる量を頼んで下さい。別にご飯系じゃなくてデザートとかでもセット料金になるし、スープとかおつまみ系とかもっと軽めの料理も色々あるので、どうか、どうか……。
これがあのバイトをしていて断トツで辛かったことです。みんなも食べ物は大切にね。
今何してんの? - 絶賛、ニート満喫中だってよ。
はい、現在無職です。
一応次の仕事の目処はついてるんですが、高校生と言えどその仕事は16歳からなんですよね。ぼくは早生まれなので、あと一週間ほど待たなきゃならんのです。まあその間に色々と手続きとか済ませちゃえば良い話なので、今はそういうことを少しずつやってます。
いやぁ、ニートやってるとマジで生活リズム狂うね。
最近のぼく、朝の7~9時あたりにみんなが学校に行ったり会社に行ったりするのを見届けながら寝て、みんなが帰ってくる14~16時あたりに起きるような生活してるよ。マジでゴミ。
曜日感覚も日付感覚も、なんなら時間の感覚も殆ど無いんだけど、学校も終わったし職も無いしで毎日があまりにも暇過ぎる。
しかもそんな時間に起きるから、どこかに出掛けようにも出掛けられないし。
日々暇を持て余して、PCと睨めっこして、ゲームしたりゴロゴロして生きております。
よく、好奇心は猫をも殺す、だなんて言いますが、今の状況はむしろ退屈は猫をも殺すですね。まあ猫はいくら退屈でも寝てるんでしょうけど。
いいな~~~~ぼくも猫になりた~~~~~~~い!!!!!!!!!
すみません、取り乱しました。まあ来世は猫になりたいですけどね。
さて、長くなりましたがこんなもんでしょうか。
要するに、lemon、今は仕事も辞めたし学校も長期休みで死ぬほど暇な無職やってるってよ。ってことです。
それでは皆さん、ごきげんよう!
また会う日まで……。
パーソナルスペース
郵便受けを見に外へ出たら夕陽が綺麗で、このまま灰になって死んでしまえたらいいな、なんて思った今日この頃、lemonです。
私は人と関わるのが苦手です。怖い。馴れ馴れしくされるのも嫌だ。
初対面ですぐにタメ口をきいてあだ名なんて付けられた日にゃ、もうその人は苦手認定してしまう。心の中を見透かされているようで怖くて堪らなくなる。
私は昔から年上か年下としか仲良くなれない。小学校に入学して初めて出来た友達も、初めて遊んだのも六年生の女の子だった。
ショッピングモールなんかにある子供の遊び場コーナーに行けば必ず小さい子が寄ってきたし、手を引かれて遊び回された。
でも私はそれが心地良い。
年上は経験ゆえ知識が豊富で、話していてとても楽しいし勉強になる。
年下は無邪気で、年を重ねるごとに消えていく柔軟さに感心させられる。(なんだかこの発言は年寄り臭いけど)
そして両者ともに、敬語を使うことが共通している。
もちろん小学生の時に六年生相手とは言えど敬語なんて使わなかったけれど、少なからず同級生と同じようには接しなかったし、小さい子相手にもそんなことはしない。
けれど、同年代と比べて圧倒的に適度な距離感がある。私はそれが好きなのだ。
私はあまり人のことをすぐに信用したり出来ない。どうせすぐに忘れて壊れて消えてしまうのは学習済みだから。
環境のせいもあるだろうが、私が通った小学校や中学校は馴れ馴れしい人が多かった。
初めて遊んだその日に「うちら親友だよね!」なんて言われた日には思わず素で「え?」と聞き返してしまったし、今でも理解が出来ない。(正直友達だとも思っていなかった。)
中学を卒業してからも、久しぶりに会った大して仲良くもなかった他クラスの人に「なんで最後の方学校来なかったの?」だの「高校はちゃんと行くんだよ!」だの言われて大変不愉快だったし、なんでこんなに空気も読めないし気も使えないんだろう、と思った。
同年代だから、という理由だけでどうして途端に馴れ馴れしくなるのか分からない。
いきなり踏み込まれて荒らされても困ってしまう。私に適応能力なんてものは備わってないので、いきなり踏み込まれると逃げ回って隠れたくなる。結構マジでやめてほしい。
対人能力に難があるなぁ、とつくづく思うが、こればっかりは不得意なのでどうしようもない。克服したいんだけどなぁ。
同じような理由で人と目を合わせるのも苦手だ。何もかも見透かされているようでゾッとする。まあ接客業をしているのでバイト中はやるしかないのだが。
写真を撮られるのも怖い。プリクラでさえマスクをしたままだ。
誰かの記憶に、何かの記録に、醜い自分が残るのがとても怖い。同時に嫌な記憶も思い出してしまうので、中学の卒業アルバムは押入れの奥へ仕舞い込んだし、写真は破り捨てた。
要するに自分に自信がないわけだ。だけど頑固だから人に合わせるのが嫌で集団から孤立して嫌われる。自業自得である、仕方ない。
明日から世間ではGWだと言うのに、私は4連勤です。頑張ります。
みんな、青春は後悔のないようにね。
では、また次回。
卒業
お久しぶりです。
この度、フリースクール、在籍校共に卒業して参りました。
在籍校の卒業式は死ぬほど嫌な思い出しかないので割愛させて頂きますが、フリースクールの卒業式は本当に素敵な思い出になったので、ここではそのお話をしようかと。
まず後輩たちがずっと前からお別れ会の準備をこっそり進めていてくれたようで、本当に嬉しかったです。
ひとりひとり、先生方も含め色紙にメッセージを書いてくれて、お手紙も頂きました。
手作りのコサージュも可愛らしくて、慣れないながらに一生懸命作ってくれたんだろうな、と思うと思わず目が潤みそうになります。
半年間しか一緒に居なかったけれど、2年半通った在籍校には一切の思い出がないにも関わらずフリースクールはたった半年でも3年分が凝縮されたようで、本当に幸せだったなぁとしみじみしてしまいます。
ババアだから涙腺がゆるゆるです。
学校という場所でこんなにも誰かと笑い合ったことなんて今まで無かったので、フリースクールに来て良かったなぁ、と心底思います。
後輩も同級生も、みんなのことが大好きです。
たまにでいいから遊んでほしいし、文化祭とか突撃したいです。
昨日卒業したばかりだと言うのに寂しくて、既に会いたいなぁと思ってしまう…。
このブログを見ていることは限りなくゼロに近いと思いますが、この場を借りてお礼を言わせて下さい。
みんなありがとう、大好きです。
では、また次回。
自傷行為
昨日は通院日で、いつも通り主治医とお話をしていた。
通院は月に一度だから、いつも伝えようとしていたことを伝え忘れていたりと不十分な点が多々存在していて、だから私は先月から日記をつけ始めていた。
初めのうちは「どうせ私のことだ、三日坊主に決まってる」なんて思っていたのだが、夏休みの日記みたいに今日1日何があったか、ではなく、今日1日の体調・精神状態などの症状、自傷行為の内容、服用した薬の名前など、出来事ではなく必要事項だけを記入するようにしていたら、見事に1ヶ月間毎日欠かさず書くことが出来たのだ。
これには自分でも驚いて、たまには自分を褒めてもいいかな、なんて思ってしまった。
さて、本題はここから。
私は自傷行為常習犯で、1番最初に自傷行為をしたのは幼稚園児の頃だった。
いや、爪をむしるとかそんな細かいものも含めたらそれよりもっと前からかもしれない。
だが、明確な意志の芽生えはその幼稚園児の時だったのでここでは1番最初はその時ということにしておこう。
理由までは覚えていないが、私は幼いながらに何かにイラついていたのだろう。
とにかく冷静になろう、落ち着こう。無意識のうちにそう思ったのだろうか。
私は自分の首を絞めた。
何を言っているか分からないかもしれないが、これはきちんとした事実だ。
この時のことは今でも鮮明に覚えている。
私はその頃から、イライラしたり悲しくなったりすると痛みで冷静になろうとする節があった。
きっとその自我の芽生えが、その時の自分の首を絞めたことなのだろう。
私は自らの手で自身の首を鼓動が速くなるまで絞め、フッと緩めた。
すると、その苦しみがイライラを上回って冷静になり、思考が鮮明になったのだ。
それ以来、私は何かあると痛みで冷静になろうとするようになった。
首を絞めたり、皮膚を掻きむしったり、爪をむしったり、唇の皮を剥いたり。
その為、幼い頃から私はずっと深爪だった (去年あたりに深爪なのが恥ずかしくなり、頑張って治しました)。
そして少し話は変わるが、そういった細かくて比較的「癖」と言えば済むような自傷行為ではなく、リスカやボディステッチなどの本格的(?)な自傷行為を始めたのは中学1年生の時だった。
いじめられて、学校に行きたくなくて、自我を殺して、精神状態はかなり酷かっただろう。
そんなある日、インターネットでリストカットなるものを知り、興味本位でカッターを手首に押し当てた。
最初は怖くて薄っすらとしか切ることが出来なかったが、今までの自傷行為より遥かにその行為は心地良くて、どんどん悪化していった。
昔から血を美しいと思っていたこともあって、なるべく血が出るように切っていた。
すぐに錆びてしまうからと、替えの刃が何本もストックされていた。
同時に同じくインターネットでボディステッチという、皮膚(薄皮)に刺繍するものを知って、それも興味本位でやってみた。
おかげで手のひらはボロボロだったが、美しくて子供ながらに心惹かれ、傷が治れば縫って切っての繰り返しだった。
絵を描くのも音楽を聴くのも好きだったけど、鬱や破壊衝動にそんな趣味如き効き目なんか無くて、自傷行為に勝るストレス発散法が私には存在しなかった。
だがしかし、そう長く続くはずもなく。
すぐに担任にバレて呼び出され、問い詰められ、だけど信用なんてしてなかったから何も言わず「楽しいから切ってます!」と元気良く答えておいた。我ながら狂気的だと思う。
もちろん親にも連絡が行き、それはそれはもう怒られた。
どうしてそんなことするの!?って。
裁縫道具もカッターも没収された。
私は絶望した。
これから先、何を頼りに生きていけばいいのだろう。
この行き場の無くなったストレスはどこへ捨てて行けばいいのだろう。
大好きな美しき自傷行為を否定されたのが悲しかった。
何もかも分からなくなった。
どんどん崩れていった。
学年が上がるごとに自我の押し殺し方が酷くなり、私が精神崩壊寸前の不登校になった中学3年生の頃には中身が空っぽだった。
ちゃんと毎日学校には行っていたけど、ろくに人と関わった記憶がなく、言うなれば「空白の2年半」だろうか。
身体に拒否反応が起きて、ようやく登校拒否。フリースクールへ通い始めた。
押し殺していた自我をもう一度再生させた今、私はあの時の感情がフツフツと湧き上がった。
手首を切りたい。
ああ、せめて、長袖を着ている冬の間だけでいいから。
剃刀に手を伸ばしていた。
我に返った時には既に血が流れていた。
なんとも言えぬ幸福感に包まれた。
ああ、これを待っていたんだ、と。
それ以来頻繁に剃刀に手を伸ばすようになってしまった。
季節は無慈悲にもあっという間に巡って、きっとすぐに夏になる。
昔はカッターだったから良いものの、今は剃刀だ。
このズタズタのバーコードな傷痕塗れの手首を人前に晒すわけにはいかない。
どうにかしてやめなくちゃいけない。そう思った。
だけど一度我慢していたものを解放した今、もう一度我慢するというのは難しいことで。
そこで冒頭で紹介した日記だ。
正直に、自分がリストカッターであることを綴った。
また否定されると思った。
私の周りに居た大人は、少なくとも過半数が自傷行為を否定したから。
だけど私もいつまでも子供じゃ居られない。そう都合良く物事が進むわけじゃない。
腹を括ろう。
何せ私が通院しているのは心療内科だ。その手の問題にも対応してくれるはず。
そう思って主治医に相談してみた。
すると驚くべき答えが返ってきたのだ。
「やり過ぎなければいいんじゃないですかね?それもその人の逃げ道だと思いますよ。」
割と本気で泣きそうになった。危なかった。
まさかそんなことを言われると思って居なかった。
生まれて初めて自傷行為を否定されなかった。
それが本当に本当に嬉しかった。
この先生が担当で良かった、そう心から思った。
先生は私が何か悩みを相談すると必ずこう言う。
「全く同じことでいつまでも悩んでる人って居なくて、ほんの少しだけでも悩みって変化があるんですよ。だから流れに身を任せる、じゃないですけど、それでいいんだと思います。」と。
それがなんとなく、スッと胸に収まった。
ああ、別にいいかなって。まあいっか〜って。
もう私を殺さなくていいんだな、と思ったらすごく嬉しかった。
今回は長くなってしまいましたね。
読んでくれてありがとうございました。
では、また次回。
意志の弱さ
私は人と関わるのが苦手だ。
どうしようもなく、下手くそなのだ。
いくらネタであろうと人の欠点の言い過ぎは良くないが、衝動的に発してしまう。
気づくのはいつも言葉を放った後で、傷つけてしまったんじゃないか、怒らせてしまったんじゃないか、でも今さら謝ると返って気を遣わせてしまうんじゃないか、などなど…。
なんでもかんでも衝動的に行動してしまうのをやめたい。でもやめられない。
自分がADHDである、ということも、受け手にとっては言い訳にしか聞こえないだろう。
コンプレックスを指摘される苦しみは痛いほど分かっているはずなのに、気を抜くとすぐこうだ。
自分はなんて最低な奴なんだろうと思う。
今こうしてフリースクールへ通い、毎日笑って過ごすことが出来ているのも周りのみんなが優しいだけで、本当は嫌な思いをさせているんじゃないか、存在してるだけで迷惑なんじゃないか、そんな思いが消えない。
在籍校では少なくともそうだった。
私が居るだけで空気が悪くなり、休み時間など人が少ない時に教室に入ると、みんなそれとなく教室を出て行く。
それを横目に、気にしてないフリをして絵を描いていた。
1人で過ごすことも、友達が少ないことも、あまり人に好かれていないのも大した苦痛ではなかったが、″私が存在していることによって迷惑を掛けている″という事実は苦しくて堪らなかった。
これを言うと悲劇のヒロインを演じているだとか、良い子ちゃんぶってるだとか、そういうように聞こえるかもしれないが、当時は本気で苦しいのも悲しいのも自分だけで良い、みんなには楽しく笑って過ごしてほしい、そう思っていたし、今も思っている。
だから合唱コンだったり、そういう学校行事の前に意気込みを一言みんなの前で1人ずつ発表する、みたいな時は、常に「みんなに迷惑を掛けないように頑張りたいです。」と言っていた。
昔からそうなのだ。
大人数の輪の中に入れば、だいたい微妙な雰囲気になる。
自分でも私は理屈っぽくて面倒な人間だということは理解しているし、こんな人間は万人受けしないだろう。
迷惑な存在は迷惑な存在なりに控えめに生きてるつもりなのだが、それでも人と合わせることが出来ずいつも悪目立ちする。
今はたまたま恵まれた環境に居るだけで、将来社会に出たらまた同じことの繰り返しなんじゃないかと思うと、怖くて堪らない。
自分が怖い。無意識のうちに人を傷つけてしまうのも、嫌な気分にさせてしまうのも、もう嫌なのだ。
ただ大人しいだけの無害な存在ならそれでも構わないが、私は大人しくしてるつもりなのに悪目立ちする、無意識のうちに人を嫌な気分にさせてしまう有害な存在なのだ。
それが耐えられなかった。
プラスになれなくともゼロなら良かったものを、私はそれすら出来ず常にマイナスだった。
自分を好きになりたいのに、どうしたって嫌いになる。
だから今いる片手で数えられる程度の数少ない友人たちには、本当に頭が上がらない。
どうして私を受け入れてくれるのかは分からないが、それでも私という存在を肯定してくれる。その事実だけで充分だった。
だからこそ、そういった友人がいない場での言動が緩んでしまう。
もしかしたらまた友人たちのように私を受け入れてくれる人が居るかもしれない、なんて、都合の良い夢でも見ているのだろうか。
とことん自分は馬鹿なんだな、と落胆する。
私は幼い頃から「我が道行く」と言った感じで、良く言えば芯のある、悪く言えば人と合わせられない子供だった。
それは今でも同じで、「他人の為に自分の信念を曲げるなんてそんなの許せない」という自分が居る。
嫌われてしまうのも無理はない。
私は周りにとって都合の悪い人間なのだ。
それは長所でもあり、時に短所でもある。
いや、むしろ現代社会を生きる上では短所でしかないのだろう。
そういった意味でも、普通になりたい、と思う。
話題を変えよう。
前回の記事で「最近リス禁(リストカット禁止)を始めた」などという旨を伝えたと思うが、約2〜3週間のリス禁は一昨日見事に失敗へと終わった。
気づけば剃刀を手にしていて、頭では「切ってはいけない」と警告音が鳴り響いているのに、ふと我に返った時には既に血が滲んでいた。
「なんて意志が弱いのだろう」と思う反面、ずっと我慢していたからすごくホッとしたし、胸の奥の不安感が軽くなった気がした。
季節はあっという間に巡り、きっとすぐに春が訪れ夏になるだろう。
半袖になるのも時間の問題だ。
そろそろやめられるようにしなければ夏場困るのは自分だし、最近書き始めた医者に見せる用の日記にもきちんと自傷行為や精神状態のことなどを記録するようにしている。
今までリスカしていたことは医者には黙っていたが、このままではズタボロのバーコードと化した手首を公共の場に晒す羽目になってしまう。
特に志望校は私服登校だし、バイトなんぞ始めたら、それこそ接客業なんかやっててバーコード手首なんて洒落にならない。
正直に報告して、きちんとやめられるようにしたい。
もう、逃げてばかりではいけないのだ。
一時的に目を背けていた現実も、いつかはこちらを覗き込んでくる。
だからきちんと向き合わなければならないのだ。
もう二度と自分を殺すことがないように。
では、また次回。
深海
息苦しい。
精神的にも、身体的にも、どういうわけか追い込まれている。
特別何かがあったわけでもないのだが、おそらく原因は謎の動悸、息切れ、目眩、咳などの身体症状だろう。
やはり体調が悪いと精神も参ってしまう。
それに加え、スランプに陥ってしまった。
どんなに頭をひねっても、言葉が出て来ないのだ。
このブログでさえ、なんとか絞り出して書いている有様である。
もしかしたらこれを読んでいる貴方も、「あれ、なんかいつもと雰囲気違くない?」と感じているかもしれない。私もそう思う。
いつもなら特に深く考えることはせず、書き始めたらスラスラ言葉が出てくるのに。
こんなことは今まで生きてきた中で初めてだ。
こんなの、こんなの私じゃない。
メンヘラ.jpの記事だってまだ書き途中の物が残っているし、いくら締め切りがないとは言えどあまりお待たせするのも申し訳ない。
身体症状と、スランプのもどかしさと、最近始めたリス禁(リストカット禁止)が私を押し潰し、メンタルをゴリゴリ削り取って行く。
私にとってもはや生きる意味と化した「言葉」を、思い通りに操れないのは本当に苦しい。
まるで暗い海の中を彷徨っているみたいだ。
どうすることも出来ず、ただどす黒く汚れた胸の内を吐露している。
もうすぐ受験も迫っていて、学力試験無しの面接一本とは言えど緊張するものはするし、練習の時点で動悸と息切れで頓服を突っ込むような有様だ。
本番が不安でしかない。
思い返せばここ最近は不安感と破壊衝動に振り回されっぱなしである。
気がついたら剃刀を握り締めていたり、ベランダの手すりをジッと見つめていたり。
だけど私の友人は皆、面接以外にも作文や学力試験があって、私なんかよりずっとずっと大変なのだ。
面接しかないような人間が、それだけで不安だのなんだの言ってられない。
だけど、それでも私は今にも不安で押し潰されそうで、今すぐ全てを投げ出したくなる。
どうしようもなく、苦しい。
原因不明の動悸や息切れなどの身体症状も、一応精神科で相談はしているものの、正確な診断名は今のところない。
やはり内科などに行くべきなのだろうか。
色々とキーワードを検索してみたが、よく分からないけど怖そうな病名がズラリと並んでいて、「最悪の場合死に至る」なんて物騒な言葉もチラホラ。
やめてくれ、まだ私は死にたくない。
死にたい死にたい言ってても結局死ぬのは怖いし、出来ることなら生きていたい。
まだやり残したことだらけなのだ。
3月には96猫さんのワンマンライブがあるし、まだ斉藤壮馬さんにも会えていない。
何より、やっとやりたいことを、夢を、見つけたのだ。
こんなところで、下らないことで、磨けば光るかもしれない原石を粉々にしてしまいたくない。
やっと見つけた、私の宝物。
これから一生をかけて、大切に大切に磨いていく予定なんだから、それをここで「はい、おしまい!」なんて、そんなの哀しいじゃないか。
毎日毎日「死にたい」と零し、剃刀で手首をボロボロにし、泥沼を這っていた私が今、「生きたい」と願っている。
ちょっと前の私じゃそんなの考えられなかったし、これらは全てメンヘラ.jpと出会い、そして在籍校からフリースクールへ移行し、メンタルを安定させ、「言葉」の素晴らしさを知ったからだ。
どうしようもない苦しみも、変えられない過去も、変えようとしている未来も、全部どこかの同じように悩む誰かに役立つかもしれない。
そう思ったら、死ぬわけにはいかなかった。
近いうちに病院へ行って、しっかり検査してもらおうと思う。
どうかそんな怖い病気じゃないことを願って。
生きるぞ、今日も明日もこれからも。
冒頭でもお伝えした通り、最近スランプに陥っています。
読みにくい文章だったとは思いますが、ご容赦下さい。
では、また次回。