lemonの掃き溜め

日々の生活や考え事、妄想などをただ綴ってるだけ。

JCブランド

私には、文才がない。

 

私は、あらゆる記事を書き、それをインターネット上に公開してきたわけだが、それによって読者様にお褒めの言葉を頂くこともそれなりに増えてきた。

赤の他人の私を、私が見ていないところでわざわざ評価してくれるのだから、それがお世辞ではなく本心だというのは充分に分かる。

だがしかし、エゴサなどでいくつか拝見することが多々あるのだが、どこもかしこも「JC3でここまで書けるのはすごい」「中学生が書いたとは思えない」など、私がJC3だから評価されたものが多いのだ。

もちろん褒めて頂けるだけでありがたいし、光栄なことだ。

だけど、なんというか、それは私が学生じゃなかったらどこにでもあるものなんだな、と思ってしまう自分がいる。要するに自分に自信がないのだ。

私がJCだから、その存在が珍しくて注目される。それがどうしようもなく悔しい。

ブランドにあぐらかいてドヤ顔なんてしたくないし、私の年齢がいくつであろうと評価されるものを本当は書きたい。

だけど書いても書いても貰うのは「JCで〜」「中学生なのに〜」だ。

肩書き無しで私のことを評価してもらえたら、そんな風に思ってしまう。

評価して頂く側の立場だから、こんなのはただのわがままであると分かっているのだが、やっぱりどうしても悔しくて悲しくて仕方ない。

メンヘラ.jp( http://menhera.jp/ )のライター仲間である皆さんのように、人の目を惹くような、面白くて鬱でもゆるく読めるようなものは私は書けないし、たとえ3000字を越えようと何度読み返しても中身が薄っぺらく感じてしまう。

仲間も編集者も、皆さんお優しい方だから、たくさん褒めてくれるし励ましてくれるけど、私はこんなんじゃダメだと思うし、まだまだ読者様に満足して頂けるものは書けていないと思う。

今までメンヘラ.jpで公開された過去の私の記事を読み返しても、全然面白くない。

どこにでも転がってるようなものにしか思えない。

この世で唯一の、私にしか書けない!そんなものが欲しいのに。

どうしたら皆さんの望むものが書けるのか、私が満足するものが書けるのか、さっぱり分からない。

ただ字数を稼ぐだけなら誰にでも出来るのだ。

欲しいのは、たとえ規定の1500字ギリギリの短い記事でも全て伝わるもの、そして面白さ、気楽さだ。

私の頭は本当に子供か?というくらい堅い。

新たな視点で物事を捉え、豊かな発想、柔軟な思考、知識、表現力。

そういったものが私には足りない。

こういうのは何をしたら鍛えられるのだろうか?

それすら分からず、日々ネタを探し、どうにか読み手に伝えようと試行錯誤しているわけだが、どんな長文を書いたってこれっぽっちも伝わっていない気がしてならない。

私はまだまだ勉強不足だ。

これからも精進していきたい。

 

 

では、また次回。

眠りすぎ姫

2日連続で、夕飯も食べずに半日寝てしまった。

前まで3〜4時間おきに目が覚めてしまい、深夜なんて眠気がなくて朝にならなきゃ眠れなかったのに、どういうわけかここ最近は夕飯前、つまり夜6時頃から早朝まで寝てしまっている。

何度も両親が起こしにくるが、私は起きない。

それどころか、起こされた記憶など一切ない。

そのせいで薬も飲めず、朝起きて慌てて飲んでいる。

なんなんだろう。

ちょっと極端過ぎやしないか。

もっと普通に、ちょうど良い感じで眠れないのかい、私の身体は。

しかもこれだけ寝たというのに、夕方になるとまた眠くなって寝てしまう始末だ。

全く、いつから私は眠り姫になったというのだ。

昨日も今日も休日だったから良いものの、平日までこれじゃ困る。

過眠と、頭痛やらなんやらのその他体調不良。

本当に助けてほしい。

コロコロ生活サイクルが変わるから、あまりにも慌ただしくて身体が追いつかない。

一体なにをどうしたらこうなってしまったのだろう。

せめて夕飯と風呂と身支度を済ませてから眠りたいものだ。

また明日から平日が始まる。

休日ならのんびり起きて風呂にでも入るが、平日ならばそうはいかない。

もし昨日今日みたいに身支度を一切せず寝てしまったら、朝起きて飯を食うどころか風呂に入る時間なんてあるわけないし、着替えて鞄に教科書を詰め込んで家を飛び出すしかない。

下手したら遅刻だ。

 

それ、嫌過ぎる。

 

なんというか、人として最低限の生活すら出来ていない気がする。

気がするというか実際そうなのだが。

それだけは避けたい。

なんとしてでも今日は飯を食って風呂に入りたい。

睡魔に負けないと良いのだが…。

もはや自分で自分の身体を操れなくなってきているから、不安でしかない。

ネジがいくつか飛んでてもおかしくないだろう。

まあ事実、ADHD持ちであるからネジは数本足りないのだが。

 

どうにか普通の生活を送るためにも、お医者様には全力で効く薬を処方してもらいたいところだ。

未成年だからとコンサータを処方してもらえないのはいささか辛いものがある。

ストラテラ、なんの効き目もねえじゃねえか。

ツムラも効かない。

薬がないと人並みの生活が出来ないのなら、早く薬をぶち込んでどうにかしてもらいたい。

これ、発想が完全にヤク中みたいなところがあるが、まあ仕方ない。

これがないと普通になれないのだから。

普通じゃなくても私は良いと思うが、社会は普通を求めるし、なんなら普通以上を求める。

会社へ入社するときなんて、良い例じゃないか。

あいつら、処女の床上手を求めてきやがる。

控えめに言って馬鹿なんじゃないだろうか。

こんなことを平気で言ってくる社会に、「発達障害は天才も多い」なんてことを平気で抜かしてくる社会に、何ひとつ他人より秀でてない無能な私が求められるわけがない。

だからせめて、人並みになろうと努力するのだ。

中にはその努力を平気で踏みにじってくる輩もいるが。

もっと普通以下でも生きやすい社会にならないものだろうか。

精神障害者手帳でも取れたらいいのだが、まあADHD程度じゃ取れない気がする。

障害者でありながら、健常者と障害者の間くらいに位置する人間は本当に生きづらい。

挙げ句の果てには「鬱?発達障害?そんなの甘えだろ」なんて言う奴もいる。

理解がなさ過ぎなんじゃないか、この国。

 

先日の成宮寛貴さんの件でも、本当にやってないなら最後まで戦え云々言う人間が大勢いた。

これ、いじめられても不登校にならず立ち向かえって言って自殺に追い込むのと同じなのではないだろうか。

本当に呆れてしまう。

結局この国での正義は、いつだって″いじめる側″なのだ。

正義は犠牲から成り立つ。

だから私のような、人と違う「異端者」を皆嫌い、だけど表立ってやる勇気もなく、影でコソコソと悪口を叩く。

そして、「正義のヒーロー」とやらが、堂々といじめ出す。

それに皆賛同し、「あいつがやってるから」「みんなやってるから」と自分たちもだんだんと表立っていじめ始める。

だからこそ、見て見ぬ振りも同罪なのだ。

教師に助けを求めたって、誰かが教師に告げ口をしたって、いじめアンケートとかいう訳のわからないことを行い、みんなの前に立っていじめは良くない〜とかなんとか、お説教(笑)を言うだけだ。

こうすれば形式上、″いじめ対策″を行なったことになるから、もし何か問題が起こっても言い訳が出来る。

いじめアンケートを行うのは、きっといじめ対策をしたという物的証拠になるからだろう。

あんなの、嘘しか書かない人が大勢だからなんの意味もない。

こんなんだから、教師に助けを求めるとさらにいじめは悪化するのだ。

よくも教師に言いつけたな、と。

そういう、中途半端にヒーローぶって助けようとする姿勢もいじめられる側からすればムカつく。

やるなら教育委員会とかもっと権力のあるでかいところにやってほしい。

絶対的な何かがそこにないと、いつまでも終わらないのだ。

教師も、「いじられキャラ」と「いじめられっ子」の違いくらいいい加減見分けられるようにならないのだろうか。

そのせいで私は8年半やられてきたというのに。

何も変わっちゃいなかった。

 

だから私は学校という場所が、大嫌いだ。

負荷

最近、身体的にも精神的にも負荷を掛けまくっていて、体調が最高に悪い。

お久しぶりです。ブログ放置しまくりですね、すいません。lemonです。

 

前回の通院時に、起立性調節障害っぽいのでは?という旨を担当医に伝えたところ、とりあえずということでツムラという漢方を貰った。

頭痛やらを抑えてくれるとのことだが、飲み始めて数日経つが一切効果がない。

なんだこれ。

きちんとした診断もしてないから、病名がハッキリしたわけでもない。

これを書いてる今だって、頭が痛くて目眩がするし、なんなら吐き気もある。

毎朝起き上がるのが辛い。

元々頭痛持ちで、雨の日など低気圧のときは頭痛があったが、最近は雨だろうが晴れてようが御構い無しに頭痛が襲ってくる。

体調が悪いと、精神的にも参ってしまう。

ずっと抑えてきた自傷行為(ここで言う自傷行為とは、リスカなどのこと)も、したくて仕方がない。

もはや唇の皮を剥がすだけでは足りないし、皮膚の再生が追いついていない。

剃刀を買いに行きたい。

破壊衝動や鬱や倦怠感、ハイテンションなど、様々なものがジェットコースターのように襲ってくる。

自分の体なのに、私じゃ私を上手く扱えなくなってきている。

なるべく正常を装っているものの、いつ我を忘れて暴走するのか分からなくて怖い。

ますます自分のことが嫌いになってしまう。

唐突に何時間も眠ってしまうし、かと思ったらなかなか眠れずやっと寝たと思ったら3〜4時間おきに目が覚めてしまうし、なんなんだ。

まるで私の身体が私のものじゃないみたいだし、糸の絡まったマリオネットみたいで笑えてくる。

でも頑張って毎日遅刻も早退もせず、学校へ通っているから少しくらい自分のことを褒めてあげたい。偉いぞ、私。

 

そういえばたまに在籍校の人たちとすれ違うが、のほほんと周りの迷惑も気にせず道の真ん中を歩いてゲラゲラ甲高い声で笑っていてすごく耳障りだ。

私はそんな女神のような優しく穏やかな心は生憎持ち合わせていない陰湿な人間なので、過去の私に嫌がらせをしてきた人間は全員死ねばいいと思っているし、顔も見たくない。

こんなことをいつまでも引きずっている自分が惨めなのは、よく分かっている。

だからいつになっても自分のことを好きになれないのだ。

誰より自分のことを否定しているが、それと同時にきっと私は私のことが好きで好きで堪らないのだろう。

矛盾しているのは分かっている。

私だって分からない。

でもきっと、本当に嫌いだったら何の関心もないだろうから、お洒落もしないし自撮りだってしない。自分のために何かをするなんて、しないんだろう。

というかとっくに死んでいると思う。

だから、きっと私は私が大嫌いで大好きなのだ。

我ながら気持ち悪くて仕方ない。寒気がする。

 

頭が割れそうに痛い。

風呂に入る気力もない。

でも私が寝ようが寝まいが、朝は強制的にくる。太陽は必ず昇るのだ。

そして学校へ行かなきゃいけない。

だから私は風呂に入り、歯を磨き、髪を乾かし、少なくても睡眠をとる。

いくら学校を変えたからと言って、根本的な私のメンタルの回復にはなっていない。

嫌な人間は居ないけど、そもそも外に出るのが嫌だから本当は休みたい。

だけどそんな甘ったれたことは許されないので、私は休まず学校へ行く。

早くこの苦しみから解放されたい。

いつになったら、私は人並みの生活が送れるようになるのだ。

毎日を、胸を張って楽しいと言えるようになりたい。

薬だって飲みたくない。

だけど、少しでも症状が回復するなら、そう思って薬を欠かさず飲むし、今頑張れば卒業出来る、そう思って学校へ行く。

でも、生きるだけで精一杯だけど、誰かに褒めてもらえるわけでもない。

どんどん承認欲求が膨らんでいく。

だから、私だけでも私のことを認めてあげられるようになりたい。

 

日付が変わった。

皆さん、今日もゆる〜く頑張りましょ。

無理なく、出来ることを。

 

では、また次回。

かくれんぼ

どうやら昨日はスーパームーンだったらしい。

どうせ見えないし、見えても望遠レンズも三脚もないただのカメラじゃ無理だろうと思ってカーテンを開けることさえしなかった。

 

月はどこにいるのだろう。

うさぎは住んでいるのだろうか。

満月の晩、ひょっこり顔を出したりするのだろうか。

月は魔力がある。

満天の星空も、きっと敵わない。

だけどそれを眺める愛する者の瞳に映ったプラネタリウムが、何より美しいことをまだ知らないでいる。

 

私の誕生日は1月だが、名前の由来は七夕に近いものがある。

こんな綺麗な名前、自分には不釣り合いだなとよく思ってしまう。

なぜ両親はこの名前を付けたのか、よく分からない。

単純に付けたい漢字があって、由来は後付けだから特に理由なんてないらしい。

私とは、なんなのだろうと思う。

だけどむしろ、理由なんてない方が良いのかもしれない。

もし理由があったら、その理由が失くなってしまったり達成してしまったりしたら「私」という存在に意味がなくなってしまう。

そう思うと、何もない方が良いのかもしれない。

 

昨夜は大変だった。

定期的に訪れる破壊衝動を必死に抑え、ハッと我に返って冷静になり、自己嫌悪の鬱に飲み込まれて静かに泣きながら眠りに落ちた。

これはなんなのだろう。

私は今のところ双極性障害の疑いもなければ、ましてや診断されたこともない。

だけど若干似ている。まあ似ているだけできっと違うのだろう。

女性特有の生理前のイライラかと思えば、月に数回この破壊衝動は訪れるからおそらくそれとは無関係であろう。

じゃあこれはなんなのか。

何か原因があるのか、私の性格なのか、もしくは誰にでもよくあることなのか。

それは現時点では何も分からない。

何もかもを壊してしまいたくて、でも人や物に八つ当たりするのだけは避けたくて、どうにかして冷静になろうと自傷行為を繰り返してしまう。

リスカやボディステッチは、1〜2年前にやめた。

いや、正確に言えばやめさせられた、が正しい。

親と教師に見つかって散々根掘り葉掘り何かあったのかと聞かれ、もうこんなことはするなと言われた。

そこからは面倒だったから素直にやめておいた。

私は面倒なことが嫌いなのだ。

だから、唇の皮を剥がしたり皮膚を掻き毟ったりと比較的目立たず、「癖」で済む小さな自傷行為を繰り返してきた。

今では唇はまだらになり、皮膚の再生が追いつく前に剥がして血が滲むことも多々ある。

思えば幼い頃から私はイライラしたり悲しくなったりすると痛みで冷静になろうとする節があった。

あれは幼稚園児の頃だろうか。

理由は覚えていないが、イライラして自分の首を絞めてみたり皮膚を掻き毟ったりしてみた。

するとイライラよりも痛みが上回り、イライラは治ったのだ。

それからというもの、私はイライラしたりすると何かしらの痛みを加えて冷静になろうとしていた。

まあ元々そんなに怒りっぽいわけではないので、幼少期はほとんどやらなかったが。

しかし、小学生時代はクラス替えをする度にいじめに遭い、それは中学でも続いて対人関係を上手く築けなくなり、人が怖くて仕方なかったしその他ストレスが重なりリストカットを始めるようになった。

常に死にたい気持ちを抱え、信頼する人に複数回裏切られ、私は完璧なメンヘラと化していた。

止まらない自傷行為。消えた自尊心。

中3で耐え切れなくなり、不登校

今はフリースクールに通い、特に何もない生活を送っている。

…ように見せかけている。

此の期に及んで何が不満なんだと、そう思うだろう。

私にも分からない。

何もないのだ。心が空っぽになってしまった。

何年間も積み重ねてきたものが、いきなり取り除かれたから私は何をして良いのか分からないのだ。

1番大事な成長期であり自我の発達期間でもある中学時代を死に物狂いで耐えてきたからこそ、突然何もなくなって何をしたら良いのか分からなくなった。だから空っぽだと感じているのだろう。

ぽっかり真ん中に穴が空いて、どうすることも出来ずロボットみたいに毎日を見送っている。

笑うことは出来ても、どこか冷静に見下ろしている。

上手く、まとまらない。

胸の奥で何かがぐるぐる渦巻いている。

私はいつかこのぐるぐるに殺されるんだと、そう感じている。

よく目が死んでいる、肌が青白い、身体が冷え切っている。そう言われる。

まるで死体のようだと、何かが笑っている気がする。気がするだけだ。

私の中身はどこにあるのだろう。

どこに置いてきてしまったのだろう。

最近はもう泣くことも出来なくなってきた。

自我がないのかと言われれば、おそらくあるだろう。

だけど自傷行為、つまりリストカットやボディステッチをやめたのは私の意志ではなかった。

やめろと言われ、詮索され、面倒だったからやらなくなった。代わりに違うことをし始めた。

ただそれだけだったのだ。

いつまでも抜け出せないでいる。

自己肯定が出来ないままでいる。

劣等感と自己嫌悪と罪悪感の塊なのだ。

私は私とかくれんぼをしている。この14年間、ずっとだ。

まだ見つけられないまま、14年が経ってしまった。

来年で15年が経つ。

いつになったら姿を現してくれるのだろう。

まだまだ私は私と終わりの見えないかくれんぼをするしかないようだ。

 

今日は上手く言葉がまとまらなくて読み辛かっただろうか。申し訳ない。

 

では、また次回。

私に病名を付けて下さい

私は異常だ。

生まれた時から普通ではない。

なぜなら発達障害を背負っているからだ。

日常生活に支障はあるし、日本では精神科通院=キチガイ扱いだ。

 

私は現在JC3なのだが、ADHDと診断されたのはJC2の冬あたりだった。

ある程度は慣れたものの、普通ではない劣等感に今でも押し潰されそうになっている。

いくら周りが気にするな、それも個性だ、と言ったところで社会は容赦なく普通であることを求めてくる。

少なくとも私の生活ではそうだった。

ハンデがあるのに、健常者と同じくらいを求められる。

徒競走でみんなとスタートラインが自分だけ違うのに、ビリになって馬鹿にされてるようなものだ。

理不尽極まりないし、決して私は望んで発達障害を持ったわけじゃない。

かと言って親の責任でもない。

これは誰も責めようがないことなのだ。

だからこそ、この不安や悲しみや怒りをどこにもぶつけられず、消化不良を起こしている。

 

そして最近、というか結構前からなのだが、とにかく眠れないし起きられない。

いわゆる中途覚醒というやつで、どんなに早く寝ても3〜4時間おきに目が醒め、朝は何度も起こされてやっと目が醒めるがすぐに起き上がると目眩がして足元がおぼつかない。

座っていても同様のことが言える。

突然立ち上がると目眩がして私は毎回そのへんの壁やらなんやらに頭をぶつけている。

おかしいな、とは思っていたが貧血とかそんな感じだろうと思っていた。

だがしかし、眠れず起きられないというのはかなりストレスだ。

気になって私の知ってる範囲で様々な病名などを検索していると、今のところどうやら私は自律神経失調症起立性調節障害の疑いがある。

とは言え、私は医者でもなんでもない、ただのJCだ。

次の通院時に医者に相談してみようと思う。

 

さて、タイトルにもあるように私はとにかく病名が欲しい。

「え、さっき普通じゃない劣等感が〜とか言ってなかった?」って思った方、気持ちは分かるがどうか聞いてくれ。これには理由がある。

私は以前にも、ネットで自律神経失調症を見かけていて、症状のいくつかがかなり当てはまっていたので母に冗談半分で「これ私っぽいよね〜」と言ったことがある。

すると、「lemonはなんでも病気とか障害とかにしたがるよねw」と言われた。

違うのだ。別に病気になりたいわけでも障害が欲しいわけでもない。

そんなの精神疾患をステータスにしてるアホなファッションメンヘラと同じじゃないか。

こんなにも毎日普通じゃない劣等感で苦しんでいるのに、発達障害に加えて訳の分からない病気や障害を増やそうなんてこれっぽっちも思わないしそんなの要らない。

だがしかし、私は確かに原因不明の何かで苦しんでいる。

原因が分からないからどうしようもないし、ただひたすら日々の生活の中に立ちはだかる壁へと体当たりし続けるだけで不毛だ。

だけど原因が分かったら?病名が付いたら?

薬を処方してもらえるかもしれないし、何か解決策があるかもしれない。

もしかしたら治らないものかもしれないが、少しでも望みがあるなら治したい。

しかし、自己診断は時に大きな事故にも繋がることがあるから安易にやるべきではない。

だから可能性のある症状をいくつか絞り込んで医者に相談し、診断してもらう必要があるのだ。

医者に診断してもらうことによって、それは途端に信憑性が上がる。

今までどんなに私が症状や辛さ、それに当てはまる病名を訴えても見向きもしなかった周囲が途端に信じてくれるようになる。

誰にも理解されず、自己管理の問題だ、甘えだ、などと言われてしまうのは理不尽だし、やるせない。

つまり半強制的に理不尽な言葉を封じることが可能なのだ。

そしてもうひとつ理由があって、それは精神的な逃げ道になることだ。

原因不明のままだと、「自分はおかしいのではないか」という不安が拭い切れないままだが、病名が付くことによって「自分はこういう理由でこうなんだ、仕方ないんだ」と妥協点を見つけることが出来る。

要するに、安心出来るのだ。

そういった2つの意味で、私は病名が欲しい。

もしかしたらまた劣等感に繋がってしまうかもしれないが、それでも私は原因不明だった時代より発達障害だと分かった今の方が随分と精神的に楽なのである。

だから同じように、この不安を病名を付けることによって取り除き、治療が可能なら治したい。

 

お医者さん、私に病名を付けて下さい。

ご挨拶

はじめまして。lemonと申します。

普段他のサイトでライターをやらせて頂いているのですが、個人でも文章を書いてみたくなって初のブログを始めました。

日々の生活や考え事、好きなもの、妄想やらなんやらをひたすら垂れ流そうと思います。

更新は不定期だけど、物好きな方はたまにチラッと覗いてやって下さい。

よろしくお願いします。

 

さて、もうすぐ11月。

どうりで寒いわけだ。お布団が恋しい。

秋の心地よい風も、もうすぐ突き刺すような痛みに変わる。

世の女性たちはマフラーに口元を埋めて萌え袖しながら暖かい飲み物でもふーふーするのだろうか。

JKは真冬でも下着が見えそうなミニスカだし、小学生は半袖短パンだし、みんな元気だなぁ。

私もまだまだ10代前半だけど、そんな元気はない。

自室に籠もってお布団の中でゴロゴロするのが何より幸せだ。わたし、おそと、きらい。

そして普段から超インドア派な私は、もちろん運動嫌いだ。つまり、デブ。とても痩せたい。

しかし、ついさっき痩せたいと言いながらドクターペッパーを飲み干した。我ながら頭おかしいんじゃないかと思う。

よくもまあそんな矛盾したことを平然とやるものだ。

深夜特有の浮遊感を朝方まで保ちつつ、きっとこれを書き終わったらゲームでもするのだろう。

と言っても今はもう朝6時だから、充分朝方なんだけど。

変な時間に寝てしまったから、全く眠気がない。友人と通話の約束をしていたが、すっぽかしてしまった。すまん、友人。

そんなこんなで、人生初のブログにどうでもいいことをズラズラと書き連ねてみた。

こんな感じでいいんだろうか。全く分からない。

まあ、適当にやっていこう。

暇人による暇人のための暇人ブログ、そんな感じだろうか。

Twitterという140文字では語り切れない、もしくは書くほどでもないことを書いていこうと思う。

では、また次回。